モード界の帝王ジョルジオ・アルマーニ【GIORGIOARMANI】

2017/06/16


御年82歳。イタリア出身のファッションデザイナー ジョルジオ・アルマーニ。
イタリアミラノを基盤にコレクションを持つ、ジャンニ・ヴェルサーチ、
ジャンフランコ・フェッレと共に「ミラノの3G」と呼ばれています。

当初は医者を目指していた

時は1934年、イタリアのピアチェンツァにて帝王は生まれました。
幼少の頃は、デザインを描いたりファッションに興味が湧くことはなく、そのままミラノ大学医学部へと進学します。
ジョルジオ・アルマーニは当初医者を目指していたんですね。

ところが世界では戦争が始まってしまい、彼は兵役に招集されてしまいます。
無事に生きて帰る事はできましたが、招集と同時に大学は中退しておりました。
彼は医者への道は諦め、ビジネス界へと方向転換。

帝王への道を歩み始めるのです。

1957年から1964年まではミラノ百貨店に務めます。
そこでジョルジオ・アルマーニは消費者が求めるデザインや素材を正確に把握し販売に貢献しておりました。
また、生産流通にも詳しかった彼はやがてファッション界からスカウトされセルッティのメンズ部門となる「ヒットマン」のデザイナーに就任するのです。

見た目だけではない、着心地の良さも追及

「ヒットマン」のデザイナーに就任してから数年後。
ジョルジオ・アルマーニが34歳の時でした。

建築家のセルジオ・ガレオッティと出会います。
ガレオッティは彼の能力を大変評価し、ジョルジオ・アルマーニに独立することを提案します。
この話にジョルジオ・アルマーニは興味を示し、1970年に独立。

5年後にはセルジオ・ガレオッティと共立し「GIORGIO ARMANI S.p.a」を設立しました。
設立と同時にジョルジオ・アルマーニはフィレンツェにて初のコレクションを発表します。
見た目だけにこだわらず、着心地の良さも追及して作られた彼のコレクションは会場で高い評価を得る事が出来ました。
ここからさらにトップデザイナーへの道を一気に駆け上がります。

1980年、ジョルジオ・アルマーニはアメリカ映画俳優のリチャード・ギア主演映画「アメリカン・ジゴロ」の衣装を担当することになりました。
リチャード・ギアといえば日本のジュースのCMに出てますよね。
(寅さん衣装の彼はなかなか似合っております。)
リチャード・ギアの衣装担当になったのをきっかけに、ジョルジオ・アルマーニは様々な映画俳優からオファーを受けるようになったのです。

翌年の1981年にはセカンドラインであるEMPORIO ARMANI、ジーンズラインであるARMANI JEANSを発表。
そして1982年、彼はアメリカのニュース雑誌「タイム」の表紙を飾りました。
ファッションデザイナーが表紙を飾るのはクリスチャン・ディオール以来だったそうです。

この頃から、いつしか世間はジョルジオ・アルマーニを「モード界の帝王」と呼ぶようになりました。

スーツブームを巻き起こす

ジョルジオ・アルマーニといえば、やはりスーツ。
80年代後半になると、ジョルジオ・アルマーニはソフトスーツを開発しました。
ソフトスーツとは肩幅が広めに作られ、裏地も無くしてしまう事で軽量化。
着心地が改善されたスーツはたちまち話題となり一大ブームを巻き起こします。

この勢いに乗ったジョルジオ・アルマーニは婦人服にも及び、言うなればキャリアウーマンをリードすることに成功。
彼はスーツ界において確たる地位を築き上げたのです。

今年に入ってからは日本の俳優、西島秀俊がビジュアルモデルに採用。
これは日本人初なのだそうですが、西島秀俊さん大変よく似合っております。
インターネットに写真が掲載されておりとてもかっこいいです。
(男性の方も思わず見入ってしまうことでしょう。)
もちろん今回もジョルジオ・アルマーニが指揮をとり、彼に似合うスーツをデザイン。
西島秀俊の放つ、気品や優しさを引き出せるように考え作られたとのことです。
秋にはタキシードを用意し引き続き出演予定が決まっております。

御年82歳となるジョルジオ・アルマーニですが、帝王の勢いは依然としてとどまることはありません。
筆者である私も一度は彼のスーツに腕を通したいものです。

ジョルジオ・アルマーニでした。

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