鞄(バッグ)の歴史について
2018/04/07
いにしえより鞄やバッグは、主に荷物や小物を運ぶために使用するものでしたが、時代が経つにつれ装飾品としての側面が強くなりました。その成り立ちから、現在に至るまで触れてみたいと思います。
世界の鞄ヒストリー
普段より、私たちの生活に欠かせない鞄やバッグ。その歴史は、紀元前までさかのぼります。メソポタミア文明で有名なアッシリア時代(現在のイラク付近)のレリーフには、すでに取っ手のついた鞄のようなものが描かれています。
また、古代ギリシャでは映画などにも出てくるように、小物などを小袋に入れて腰紐で吊るしたり、食料品などを大きな袋状のものに入れて運んでいたそうです。
ヨーロッパでは、中世になると貴族の間で、現在の「ポシェット」「ハンドバッグ」の原型のような、「オモニエール」という装飾された巾着袋が流行ります。「オモニエール」は装飾されたベルトに吊るして使うもので、貴族の肖像画などにも描かれています。
ルネッサンスの時代に入ると、裁縫技術の進化とともに男性の服装にポケットが登場します。それによって、小物の携行にはポケットを利用するようになりました。
18世紀後半になると、フランスでは市民革命(フランス革命)が起き、人々の服装はそれまで貴族を中心に流行した華やかで装飾豊かな服飾から、シンプルで簡易なものへと変わり、それまでのポケットも少なくなり、物やお金を携行するときには鞄(バッグ)が欠かせないものとなったそうです。
そして、19世紀になると、ボディラインの分かるタイトな服や、風通しの良い薄手の服が女性の間で流行り、服にポケットのようなものが施せないため、装飾品を兼ねた婦人向けバッグが定着したと言われています。20世紀に入ると、産業が発展し自転車などの乗り物が人々の間でも広がり、両手が自由になる肩掛け鞄(ショルダーバッグ)が登場します。
また、19世紀以前のヨーロッパでは、旅行は貴族のもので、旅行用の鞄も豪華な装飾を施したものを馬車で運んでいました。その後、移動手段が鉄道に変わると旅行に行く人々が増え、それにともない旅行カバン専門の業者も現れます。その一つが後の「ルイ・ヴィトン」です。創業者ルイは鞄の新たなマーケットに注目し、平積みしやすく丈夫なトランクを考案します。その後、旅行鞄や旅行バッグは、アメリカを中心に旅客機の登場により、今で言うスーツケースの原型のような、アルミニウム製の頑丈なものや、キャスター付きのものなど進化を遂げていきます。
日本の鞄ヒストリー
日本における鞄(バッグ)は、西洋の文化が入ってくる明治時代以前は、大きく分けると袋状のものと、箱状のものに分けられます。
袋状のものですと、平安時代にはすでに小さな巾着袋に貴重品を入れて使用していたようです。また、諸説ありますが室町時代になると、家長の嫁が袋状のものに貴重品や金銭を入れて管理していたことから、「おふくろ」「おふくろさま」と呼ばれ、時代を経てその呼び名が、母親を指す言葉に変わったという説もあります。
箱状のものですと、「鎧櫃(よろいびつ)」という鎧を入れておく蓋付きの箱や、「胴乱(どうらん)」という、その多くは革製の小型ケースで火縄銃の火薬や薬品・貴重品の携行に利用するものとして、時代劇でおなじみの「印籠(いんろう)」などは薬入れとして、竹や藤などで編んで作られた今でいうトランクのような蓋つきの籠の「行李(こうり)」は、衣類などの収納や旅行用の荷物入れなどに用いられていました。
「行李(こうり)」は、「柳筥(やないばこ)」という名で、927年編纂の「延喜式」には奈良の正倉院の調度品として、また「続日本書記」にも記述があることから、当時は宮中への献上物として用いられていたと思われます。
その「行李(こうり)」ですが、編む素材によっての名称も存在し、竹で編んだものを「竹行李(たけごうり)」、コリヤナギという植物で編んだものを「柳行李(やなぎごうり)」と呼んでいました。
「柳行李(やなぎごうり)」の一大産地として発展を遂げたのが、現在もかばんの町として有名な兵庫県豊岡市です。
その後、明治の文明開化を境に、日本の鞄(バッグ)の歴史は大きく変わります。
まず、「かばん」という名前の由来ですが、諸説ありますがオランダ語の「カバス」や支那語(中国語)の「挟板(キャハン)」から転じたと言われ、「鞄」という漢字は、こちらも諸説ありますが、現在も日本の高級鞄として有名な「銀座タニザワ」の創業者である谷澤禎三が、明治初期に革と包を一文字にした「鞄」という字を考案したと言われています。
それまでの袋や箱のデザインも一新され、革製のものが主流となって行きます。また、元長州藩の奇兵隊隊士であった山城屋和助という人物が、日本に初めて西欧式の牛革製の鞄を紹介したと言われています。
ただ、当時はまだ鞄は、外国人や一部の上流階級のものであり、明治後期にならないと一般には広がって行きません。
また、革製のものだけでなく、「信玄袋」という布製平底の手提げ袋も明治中期以降から、女性の手提げ袋として流行しました。こちらの手提げ袋の用途としては、現在のハンドバッグに近く外出用小物入れとして、ちり紙や財布などを携行していたと言われています。現在も「信玄袋」は和装用の小物入れとして販売されています。
大正時代になると、一般庶民にも洋服が広まり、バッグの需要も増えて行きました。男性の間では、書類を入れる用途としての「抱鞄(かかえかばん) 」が普及します。こちらは今でいう「ビジネスバッグ」「学生鞄」「ブリーフケース」に近いものです。女性の間では、装飾品を兼ねた、財布や化粧品をいれる小型のバッグが普及し始めます。こちらが昭和に入ると「ハンドバッグ」と呼ばれるようになります。その後、時代が戦争に突入すると、軍用に開発された鞄やバッグが登場します。陸軍用に開発された「図嚢(ずのう)」は、肩からななめがけにして使い、日本のショルダーバックの原型とも言われています。また当時は、一般に従来の革は贅沢品として禁止されていたため、代用品としてうなぎやヘビなどの革を使用していました。
戦後になり、産業の復興とともに、鞄(バッグ)もナイロン製のものが登場したり、海外から高級ブランド入ってきて、我々の鞄(バック)に対する嗜好も様々になって行きました。
鞄で有名なブランドたち
ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)
前述で紹介した通り、19世紀半ばにフランス・パリで、旅行カバン専門アトリエをオープンさせたルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)。当時は画期的だった、平積みしやすいデザインと、内部に仕切りがある使い勝手の良さ、丈夫で軽量な上に防水加工された「グリ・トリアノン・キャンバス」という素材を使ったトランクを開発し、その名が一躍世間に知れ渡ります。
さらに旅行用の移動型箪笥「ワードローブトランク」を開発するなど、鞄やバッグの歴史に確固たる地位を築き上げました。
エルメス(HERMES)
エルメス(HERMES)でバッグといえば、もはや代名詞となった「ケリー」や「バーキン」。ケリーバッグ として有名な「ケリー」は、発売当初の商品名は「サック・ア・クロア」と言いました。モナコ公国の公妃となった女優グレース・ケリーが、マスコミから妊娠中のお腹を隠すために持っていたバッグとして有名になり、当時のエルメスは、このグレース・ケリーの人気にあやかり、モナコ公国の許可を得て、商品名を「ケリー」と変えました。彼女のクール・ビューティーなイメージと合ったバッグは、時代を超えて人気となり、ケリーバッグはバッグデザインの代名詞として、現在ではさまざまなブランドからこの形のバッグが販売されています。
「ケリー」と並んで人気の「バーキン」は、当時のエルメスの社長が、偶然飛行機でイギリスの女優で歌手のジェーン・バーキンの隣に座ったことがきっかけで誕生しました。フライト中の二人の会話の中で、ジェーンが理想とするバッグを語り、それがエルメスの職人の手により形となりました。そのバッグは姿カタチの美しさと、収納力や機能性を兼ね備え、誕生から30年以上たった今も、女性憧れのバッグとして君臨しています。
そのほかにも、上質な革素材を使い一点一点職人の手で作られたグッチ(GUCCI)や、世界初の女性用ショルダーバッグと言われる「マトラッセ」で有名なシャネル(Chanel)、野球のグローブからヒントを得た「グラブタンレザー」で有名なコーチ(COACH)、世界中のセレブから注目された「ラゲージバッグ」のセリーヌ(CELINE)、ナイロン生地を使用したバッグやセカンドライン「ミュウミュウ」が人気のプラダ(PRADA)、「バディトン」シリーズが人気のクロエ (Chloé) など、鞄(バッグ)が有名な世界的ブランドは多数あります。
また日本でも、昭和初期創業で、ポーター (PORTER)やラゲッジレーベル(LUGGAGE LABEL)などのラインが人気の吉田カバン、明治創業で横浜のハマトラブームで有名なキタムラ(Kitamura)、最近では発展途上国支援を目的にバングラディシュなどに生産拠点置き、高級車ベンツのシートで利用する上質の革を用いた、独自のデザインと機能性で人気のマザーハウス(MOTHERHOUSE)などがあります。