A.ランゲ&ゾーネ(A.LANGE&SOHNE)の歴史と魅力

2017/02/07

Aランゲ&ゾーネの歴史

時代の荒波に飲まれ、一度はこの世から姿を消したAランゲ&ゾーネ。
しかしAランゲ&ゾーネの産みの親であるアドルフ・ランゲの曾孫、ウォルター・ランゲにより再びこの世へと蘇り、今もなお世界5大高級時計ブランドとして君臨し続けています。

2016年にはドイツの週刊雑誌「ヴィルトシャフツヴォッヘ」が発表した、ドイツ産高級ブランドランキングで1位に選ばれました。
そんなドイツが世界に誇る高級時計の歴史を掘り下げていきましょう。

青年は旅の中で学んでいく・・・

Aランゲ&ゾーネの創業者であるアドルフ・ランゲはかつて、ドイツのザクセン王国の宮廷時計師でした。
ところが1830年、アドルフ・ランゲは当時時計師として有名だったヨハン・フリードリヒ・グートケスと出逢い、彼に弟子入りします。

宮廷での生活に別れを告げるほど、ヨハン・フリードリヒ・グートケスの存在は若い時計師にとって偉大だったのでしょう。
やがてアドルフ・ランゲは、フランス、スイス、イギリスなどヨーロッパの国々を渡り時計製造を学びます。

およそ3年かけてこの旅を終え、現在でも彼が残した「旅の記録」で確認する事ができます。
彼がグートケスの工房に戻ってからの1845年、貧困に苦しんでいたドイツのグラスヒュッテを立て直そうとグートケスの元から旅立ち、グラスヒュッテへ移住します。

立て直しの為、ザクセン王国から多額の資金を得たアドルフ・ランゲはAランゲ&ゾーネの前身である自身の工房「Aランゲ・ドレスデン」を創業。
やがて工房で育った彼の弟子たちはそれぞれ独立し時計工房を創業し、結果貧困で苦しんでいたグラスヒュッテは時計製造の町として活気を取り戻すのです。
   
グラスヒュッテが活気を取り戻してからの1867年、アドルフ・ランゲの息子であるエミール・ランゲが経営に参加し翌年の1868年には次男のリヒャルト・ランゲも参加し、この年に社名が「Aランゲ&ゾーネ」に変更されました。

ここから更に、会社を大きくしようと意気込むゾーネ一族でありますが、しかしながらその勢いは長くは続きませんでした・・・

人がいる限り、その技術は決して失われない

1900年代に突入したゾーネ一族を待ち受けていたのは、20世紀最悪の被害を世界中にもたらした「戦争」でした。
第二次世界大戦時、ソ連の空襲攻撃によりAランゲ&ゾーネの工房は焼失。

会社の資料、部品、今までに作られた時計も全て焼きつくされ、消えてしまったのです。
その後、さらに追い打ちをかけるかのごとくドイツが東西に分裂しAランゲ&ゾーネの従業員はバラバラに。

そして1948年、Aランゲ&ゾーネはグラスヒュッテ時計会社に統合されこの世から姿を消してしまいます。
   
しかし、世界に再びAランゲ&ゾーネ復活の機会が訪れます。
ベルリンの壁をドイツ人が破壊した1990年のドイツの東西統一化です。
この機会を決して逃すまいと奮闘したのがアドルフ・ランゲの曾孫であるウォルター・ランゲでした。

早速ウォルター・ランゲはAランゲ&ゾーネの商標登録をし再興させ、かつての部下たちを集め、7人という少人数ながらも時計作りを始めます。
1990年代は機械式時計が再び注目され、彼は昔ながらの手作業を第一に復活を目指し、革新技術も取り入れます。

こうして完成された時計がランゲ1です。
伝統的なデザインを意識したランゲ1はかつてアドルフ・ランゲが自身の師匠であるグートケスと共に作ったドレスデンのオペラハウスに設置されている5分時計をモチーフに作られた非常に歴史を感じさせる逸品だったのです。

復活記念コレクションとしてランゲ1は大成功し世界中に広まります。
1996年には東京の青山にAランゲ&ゾーネ第1号店がオープン。 

ドイツはAランゲ&ゾーネの復活劇を称し、その第一線で活躍したウォルター・ランゲにザクセン州功労勲章を授与しました。
彼の人生からはたとえ、会社や技術が無くなったとしても人の記憶、知識ある限りそれは永遠に失うことはないのだと感じます。

お金は使えば無くなりますが人にとって知識・記憶は一生の財産なのだと学ばせてくれる時計メーカーなのです。