フェラガモ(Ferragamo)の歴史

2018/07/18

フェラガモ(Ferragamo)画像

シューズブランドとして、履きやすさにこだわり、デザインにおいて数々の定番スタイルを創り出した「フェラガモ(Ferragamo)」。その生い立ちと、総合ブランドとしての地位を確立するに至ったその歴史をたどって行きたいと思います。

「スターの靴職人」としての名声

今やイタリアを代表する総合ファッションブランドとして、世界的にその地位を確立した「フェラガモ(Ferragamo)」。
ブランドの正式名称は、創業者であり天才靴職人でもあった自身の名を冠した「サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo)」ですが、日本では一般に「フェラガモ(Ferragamo)」と略して呼ぶことが多いです。
創業者であるサルヴァトーレは、1898年にイタリア南部のカンパニア州に大家族の14人中11番目の子供として生まれました。
9歳にして、妹のために教会の洗礼式に履く靴を作ったのが靴職人としての始まりだと言われており、11歳の時には自宅で靴屋を開業します。そして15歳の時に、兄がアメリカのブーツ工場で働いていたこともあり、その兄を頼りアメリカに渡ります。
その後カルフォルニアに移り、1919年にはカリフォルニア州サンタバーバラで靴の修理とオーダーメイドで製作する店を開店しました。彼が手がける靴は、この地に住むハリウッドスターたちの評判を集め、1923年には、ハリウッドに「ハリウッドブーツショップ」を開店します。そこで、映画の衣装としての靴を手がけたり、ハリウッドの名優たちを顧客にします。顧客には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、マレーネ・ディートリッヒ、ゲイリー・クーパーなどのハリウッド黄金期に活躍した大俳優が名を連ねました。
また、履きやすさを追求するため、地元の南カルフォルニア大学で人体解剖学を学び、1925年には、歩行の際に足の裏の土踏まずに体重がかかる事を発見し、足を痛めず履きやすさなどの機能性を持った画期的な靴型を作りました。
その頃のハリウッドではサルヴァトーレを「スターの靴職人」と呼び、その名声は揺るぎないものとなりました。
フェラガモ(Ferragamo)パンプス画像

ブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」誕生と「夢の靴職人」

サルヴァトーレは、1927年にイタリアに戻り、フィレンツェに自らの靴工房「サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo)」を創業します。これが、ブランド「フェラガモ(Ferragamo)」としての始まりとなります。この工房にはイタリア・トスカーナ地方の腕利きの靴職人が60人近く集められ、手作業での靴の製作を行いました。翌年には1号店を出店し、オリジナルシューズを発表して行きます。この頃エジプト考古学の発掘品に影響を受けデザインされた、今も人気の「サンダル」が発表されています。
さらに、アメリカの高級百貨店として有名なサックス・フィフス・アベニューやマーシャル・フィールドと契約を結ぶことに成功し、事業は順調に進むかに見えました。
しかし、時代は世界大恐慌の真っ只中。フェラガモ(Ferragamo)もその大恐慌のあおりを受け1933年に倒産します。
失意のサルヴァトーレでしたが、ハリウッド時代からの顧客や、各国の上流階級の顧客からの支援を受け見事に復活を遂げることになります。
そして、1938年には、フィレンツェの歴史的建造物であるスピーニ・フェローニ宮殿を購入し、そこに工房とフィレンツェ本店を置きます。
しかし、またしても彼には時代の荒波が待ち受けていました。それは第二次世界大戦で、当時のイタリア・ムッソリーニ政権下では、皮革や金具などの靴を作るうえで必要な材料が手に入らなくなったことです。
それでもサルヴァトーレは、この逆境をチャンスへと変えていきます。新しい素材として、コルクやセロファンを試し、ここから生まれたのが、今もフェラガモ(Ferragamo)の定番スタイルである「ウェッジソール」です。
コルクを利用することで軽量化し、土踏まずを支えて体のバランスを安定させるこのシューズを発表したちまち人気を博します。
また、1947年にはセロファンや足の甲部に透明なナイロンの糸を利用し、独創的なデザインの「見えない靴」を発表し、ファッション界のオスカーとも言われる 「ニーマン・マーカス賞」を、当時アメリカ人以外で初の受賞を成し遂げます。
その後もサルヴァトーレは、精力的に誰もが考え付かない素材を利用した作品や、今も定番となる画期的なシューズスタイルを次々に世に送り出し数々の特許を取得しました。
1951年には、取り外し可能なソックスが一体となったサンダル「キモ」。1954年には、女優オードリー・ヘプバーンの為に製作した、ストラップ付きスエード素材のバレリーナシューズで、後に平底の定番スタイルのひとつとなる「フラットフォーム・ソール」などが代表的なものとなります。
またその一方で、ただデザイン性に富んだ作品を作るだけでなく、彼の靴作りの根本となる信条は、足にフィットする履き心地の良い靴作りを追求することであり、足の構造に基づいたそのフィッティングは「奇跡のフィッティング」と呼ばれ、客の足に触れただけでその人の体調が分かったという話が残るほどでした。
洗練されたデザインと履き心地の良さを追求し、デザイナーとしての感性と職人気質を併せ持つサルヴァトーレ・フェラガモを、後に人々は「夢の靴職人」と呼ぶようになります。
フェラガモ(Ferragamo)パンプス画像

総合ファッションブランドとしての「フェラガモ」

サルヴァトーレは、1960年にこの世を去りますが、フェラガモ(Ferragamo)は、妻のワンダとその子供たちによって事業が引き継がれます。
生前のサルヴァトーレは、フェラガモ(Ferragamo)を靴だけではなく総合ファッションブランドへと躍進させたいという想いがありました。そのため彼は、自分が死んだ後の事を考え、妻のワンダを自身の代わりとして事業に参加させ、長女のフィアンマには自身の工房で修行をさせ、次女のジョバンナにはファッション専門学校に行かせ、将来に備えていました。
彼の死後、1965年には、長女フィアンマによりハンドバッグ・コレクションが、次女ジョバンナによりウエア・コレクションが発表されます。
1967年には父に次いでフィアンマも「ニーマン・マーカス賞」を受賞し、ジョバンナはフェラガモ(Ferragamo)をトータルファッションブランドとして展開し始めます。
1969年にはハンドバッグの「ガンチー二」が初めて登場し、1970年にはメンズラインを展開し始め、次男のレオナルドが成長させていきます。
1971年には、三女のフルヴィアにより、シルク・スカーフとネクタイの製作が始まり、その後ブランドの定番ラインとして拡大していきます。
1978年には、フィアンマのデザインにより、現在でもフェラガモ(Ferragamo)の代名詞的存在のパンプス「ヴァラ」が誕生します。
1995年には、サルヴァトーレ・フェラガモ・ミュージアムを開館。2001年には、フレグランスを扱うフェラガモ・パルファム社設立。2002年にはスニーカーライン「FREEDOM」を発表。2011年には、イタリア証券取引所への株式上場も果たし、サルヴァトーレの妻や子供達により、夢であった総合ファッションブランドの地位を確立します。
現在は、同族経営の会社としてサルヴァトーレの長男であるフェルッチオが社長を務め、3世代目候補として一族の子どもたち23人の中の3人だけが、フェラガモ(Ferragamo)で働くことを許されているそうです。
今や世界有数の総合ファッションブランドに成長したフェラガモ(Ferragamo)ですが、「履きやすい靴」を追求した創業者サルヴァトーレのDNAは、時代の変化を捉えながらも全てのコレクションで継承されています。
フェラガモ(Ferragamo)バッグ画像

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