世界クラスのプレミアムジュエラーTASAKI(タサキ/田崎真珠)について

2017/12/06

世界のジュエラー田崎真珠(TASAKI/タサキ)イヤリング画像
世界で初めて、絶滅寸前のマベ真珠の養殖に成功
日本で唯一、サイトホルダーの資格を有するTASAKI

「田崎真珠」としての創業

TASAKI(タサキ)といえば「真珠」を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか?
TASAKI(タサキ)の前身である「田崎真珠」は1954年(昭和29年)に創業し、1959年(昭和34年)に会社として設立。
国内で真珠の生産から加工販売までを自社で一貫して行なっている企業としてはトップクラスであり、そのクオリティは日本真珠振興会が主催する全国真珠品評会で農林水産大臣賞を何度も受賞しているほどの実力です。
創業者の田﨑俊作は1929年(昭和4年)に長崎県大村市で、男5人、女4人の9人兄弟の二男として生まれました。
旧制中学を4年(この当時は5年が普通)で卒業し海軍兵学校へ入学しましたが、在学中に敗戦を迎えました。
その後、長崎経済専門学校(現長崎大学経済学部)を卒業し、創業者の父である田﨑甚作(後の会長)が神戸の真珠を取り扱う会社で番頭をしていたこともあり、神戸へ。
当時、日本の真珠の大部分が神戸から輸出されていました。
その神戸で田﨑俊作は養殖真珠加工販売業をはじめました。
それが「TASAKI(タサキ)」の始まりです。
そして、戦後の真珠産業を発展させるため田崎真珠は邁進して行きます。

マベ貝の養殖とサイトホルダーの称号

田崎真珠(TASAKI/タサキ)ダイヤモンドネックレスの画像
1970年当時、絶滅寸前にあったマベ貝。もともと生息数が少なく、そこから採れるマベパール(真珠)は、その希少性から「幻の真珠」と呼ばれていました。
田崎真珠はそうした中、世界初のマベ貝の人口採苗技術を開発し、養殖に成功します。この出来事は驚きと称賛をもって世界に迎えられました。
また、ダイヤモンドについても1994年に世界最大級のダイヤモンド原石供給元である南アフリカのデビアス(De Beers)グループから、「サイトホルダー」の資格を取得しました。
このサイトホルダーとは、ダイヤモンド原石供給元から直接原石を取引できる資格のことで、厳しい審査基準をクリアしなければならず、現在でも日本ではTASAKI(タサキ)が唯一の企業となっています。
真珠の養殖からダイヤモンドまで、その品質と信頼で世界に知られる日本のトップジュエリーブランドとして躍進しました。
ちなみに、この頃の「ミスユニバース日本代表の王冠」は田崎真珠製でした。

創造性と品質でジュエリーの美を追求

創業以来、ジュエリーへの美を追求してきた田崎真珠は、2009年にはブランド名を「TASAKI」へ変更し、ミシェル・オバマ夫人からも一目置かれている、ニューヨークのファッションブランド「タクーン(THAKOON)」のデザイナー、タクーン・パニクガル(Thakoon Panichgul)氏をクリエイティブディレクターとして迎えました。
彼は、一生また次世代に至るまで大切にされる「永遠の存在」としてのジュエリーをバラや羽、リボンなどのモチーフを中心にデザインし、「異なる二つのものの融合」という大胆な発想で固定概念を打ち破りつつも、ジュエリーの美を追求しました。

2012年には社名も「TASAKI」に変更へ。

田崎真珠(TASAKI/タサキ)ダイヤモンドブローチの画像

TASAKIでは,
創業以来、真珠の持つ輝きを常に追及してきました。
真珠は「巻き(真珠層の厚さ)」と「照り(真珠の光沢)」を大事にせよ──。
TASAKIで真珠の選別に携わる職人たちは、そう教え込まれてきたそうです。
少しのキズやエクボ(自然にできた小さなへこみやキズ)があっても、真珠層の厚み、そして輝きの強さを大事にと──。
それは今も守られている、創業者 田﨑俊作からの伝統だそうです。

天然の産物であるパール(真珠)を、そのような確かな技術を持つ職人たちによる選別・加工によって生まれたクオリティ(品質)こそが、世界に誇れる最高を極めた「TASAKIの真珠」としてのプライドなのです。

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Written by 上田勝太

上田 勝太

ゴールドプラザ 主任鑑定士
1985年生まれ 鑑定士歴15年
月次の最高買取金額10億円 各ニュースに出演