ブランパン(BLANCPAIN)の歴史

2019/01/29

現存する世界最古の時計ブランドと言われる「ブランパン(BLANCPAIN)」。創業から丸型の機械式時計を一貫して作り続け、シックス・マスターピース(6つの傑作機構)と呼ばれる最高技術の機能を駆使し、世界の時計愛好家から絶大な支持を受けている名門ブランドの歴史と魅力を紐解いていきたいと思います。

ブランパン(BLANCPAIN)の始まり

日本では江戸時代中期にあたる1735年に、現在のスイス・ジュラ地方の村「ヴィルレ」に時計製造の工房を構えたのがブランパン(BLANCPAIN)の始まりになります。
1755年創業のヴァシュロン・コンスタンタン (Vacheron Constantin)や1775年創業のブレゲ(Breguet )といった同じ高級時計ブランドと比べても早い創業でした。
創業者であり、時計職人のジャン・ジャック・ブランパンの腕時計は瞬く間に成功を収めます。のちに彼は「我々は今、明日の歴史の1ページを刻んでいる」という言葉を残し、その理念と技術は後継者たちに継承されていきます。
1815年には、ジャン・ジャックの曾孫であるフレデリック・ルイ・ブランパンによって、伝統的な手作業の工房を量産可能な製造方法へと近代化を進め、時計の動力部に組み込まれている装置「脱進機」をシリンダー型からアンクル型に替えることで、時計製造業界の変革に多大な影響をもたらしました。
また、1865年には工業化が進む世界の競争に遅れぬよう、水力発電による電力を活用した製造工程を作るため、川のほとりに2階建ての工場を建設し、その結果、ブランパン(BLANCPAIN)はヴィルレを代表するマニュファクチュール(自社一貫製造する時計メーカー)としての地位を確立していきます。
そして1926年に、イギリスの時計職人ジョン・ハーウッドと共同で試作品を開発し、世界初の自動巻腕時計を商品化に成功します。その4年後には、さらに小さいサイズの世界初の女性用自動巻腕時計も発表します。
そんな、最新の技術を惜しみなく投入しながら独自の時計づくりで躍進を続けてきたブランパン(BLANCPAIN)でしたが、創業から2世紀近く経つ1932年、創業一族での経営に終止符が打たれます。当時の経営者フレデリック・エミル・ブランパンが亡くなり、一人娘が事業を引き継ぐことを望まず、経営はブランパン家の手を離れました。
ブランパン(BLANCPAIN)時計画像

ダイバーズウォッチとクォーツショック

創業家の手を離れたブランパン(BLANCPAIN)は、生前にフレデリック・エミル・ブランパンのアシスタントをしていた、ベティ・フィスターとアンドレ・レアルが経営権を買取り、「レイヴィル-ブランパン」という社名で事業を引き継ぎます。社名の由来は「レイヴィル会社-ブランパンの後継者」という意味で、レイヴィルとは創業地ヴィルレのアナグラム(言葉遊び)だと言われています。
社名は変更したものの、ブランパン(BLANCPAIN)のアイデンティティは継承され、1950年まで社長を務めたベティ・フィスターの甥のジャン・ジャック・フィスターが経営に参加し、さらなる飛躍を遂げます。
時代は第二次世界大戦後。機械式時計の需要は拡大し、会社としての腕時計の生産は順調に増える中、今もブランパン(BLANCPAIN)の代名詞となる時計が1953年に発表されます。
現代のダイバーズウォッチの原型と言っても過言ではない、ダイバーズウォッチ「フィフティ・ファゾムス」です。
今では、ダイバーズウォッチの定番である「回転ベゼル」「高い防水機能(ファゾムは水深の単位:50ファゾムは約91m)」「高い視認性」などの機能を世界で初めて搭載したモデルになります。
元々はフランス海軍の要請により開発された時計でしたが、フランスの高名な海洋学者ジャック=イヴ・クストーが制作したドキュメンタリー映画「沈黙の世界」の中で使用されたこともあり、爆発的な人気を博しました。
1956年には、当時世界最小の丸型自動巻ムーブメント(直径11.85mm)が搭載された女性用モデル「レディバード」を発表し、その技術と性能の高さを世の中に知らしめます。
1950年代後半には、年間10万本以上の大量生産が可能なマニュファクチュールとして変貌を遂げ、拡大する需要に応えるため「スイス時計産業組合(SSIH)」の傘下に入り、事業も右肩上がりに成長していきましたが、1970年代に入ると状況は一変しその勢いに陰りが見え始めます。
時代は、それまでのゼンマイを利用した手巻や自動巻時計に代わり、電源(電池)が内蔵された「クォーツ時計」が台頭し、さらにそこに追い打ちをかけるようにオイルショックが起きて、世界的な不況が起こります。
もともと機械式時計は人権費などのコストと時間がかかるため高価で、対するクォーツ時計は工場などで短い期間に大量生産ができるためコストを抑え安い価格帯で市場に出せることで、両者の差は日を追うごとに拡がっていきました。
この時期、スイスのハンドメイドによる機械式時計メーカーは多く姿を消していくことになります。
レイヴィル-ブランパンも同様、クォーツショックによる経済的打撃を受け、生産を停止し休業状態に追い込まれ、とうとうスイス時計産業組合(SSIH)は、グループ全体の生産が激減したことを踏まえ、レイヴィル-ブランパンを売却することを決断します。
ブランパン(BLANCPAIN)時計画像

ブランド復活と究極の機械式時計

1983年、当時オメガ(OMEGA)の重役であったジャン・クロード・ビバーと、自身の名がムーブメントメーカーの社名にもなっているフレデリック・ピゲによってレイヴィル-ブランパンは買収され、生産拠点もスイス・ジュラ山脈南端ジュウ渓谷のル・ブラッシュに移し、社名もブランパン(BLANCPAIN)に戻し再出発します。
1984年には当時としては世界最小の機械式動力部を、さらに1989年には世界最薄の動力部を開発し復活の狼煙をあげました。
そして、ついに復活を果たす時が訪れます。
1991年に、ブランパン(BLANCPAIN)の最高傑作であり、のちに時計史に名を残す金字塔「1735」が発表されたのです。
2世紀以上に渡り培ってきた最高の技術で独自に開発した「シックス・マスターピース(6つの傑作機構)」
ウルトラスリム(通常より厚さが薄いムーブメント)
ミニッツリピーター(暗闇でも音で時刻を知らせる機能)
トゥールビヨン(時計にかかる重力を均一化する機能)
パーぺチュアルカレンダー(閏年までも更新する永久カレンダー)
ムーンフェイズ(月の満ち欠けを表示する機能)
スプリットセコンド・クロノグラフ(同時に2つの時刻が計測できる機能)
以上の機能を全て搭載したグランドコンプリケーションモデルの「1735」は、当時世界で最も複雑で優れた機構を持つ究極の機械式時計と称賛されました。
1992年には、オメガ(OMEGA )やブレゲ(Breguet )などと同じ「スウォッチ・グループ」の傘下に入りますが、積極的に自分たちの時計づくりに邁進し、2008年には100年以上前の時計機構「カルーセル」を復活させ、その機構を搭載した腕時計「ワンミニット・フライング・カルーセル」を発表し話題になりました。
2009年からはランボルギーニ主催のカーレースのスポンサーとして公式時計も手がけています。

また、ブランパン(BLANCPAIN)は紆余曲折の歴史の中から数々の傑作モデルを生み出してきました。
創業の地から名づけられた「ヴィルレ」、生産拠点があるレマン湖から名付けられロシアのプーチン大統領が愛用する「レマン」、名作「1735」のスピリットを受け継ぐ「ル・ブラッシュ」、スポーティで先端技術を搭載した「L-エボリューション」など魅力的な機械式腕時計を発表し続けています。

時計の原点を見つめ伝統を忠実に守り、創業から一貫して丸いデザインの機械式時計にこだわり、その技術を高いレベルで追求してきたブランパン(BLANCPAIN)が、世界中の時計愛好家から愛されて止まない理由は言うまでもありません。

ブランパン(BLANCPAIN)時計画像

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