ジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)の歴史
2019/01/07時計の心臓とも言われるムーブメントの全パーツを自社で生産する世界で数少ない名門マニュファクチュール「ジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)」。創業から手がけた開発技術は1200を超え、その技術の高さから多くの有名時計ブランドにムーブメントを提供しています。そんな老舗ブランドの歴史を紹介したいと思います。
偉大なる発明とジュウ渓谷のグランド・メゾン
「時計業界の技術屋」の異名を持つジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)は、創業以来1200を超えるキャリバー(ムーブメントの型番)を開発し、数々の発明や特許も有名な老舗時計ブランドです。
その始まりは1833年、スイス・ジュラ山脈のジュウ渓谷にあるル・サンティエにて、独学で時計の製造技術を習得したアントワーヌ・ルクルトが、農業を営む実家の一部に工房を構えたのが始まりと言われています。
彼は時計職人でありながら、時計の製作に必要な機械の設計も手がける発明家でありエンジニアでもありました。
工房を構えてから11年後の1844年には、のちに時計史に名を残すことになるミクロン単位まで測定できる計測器「ミリオノメーター」を発明し、時計の精密部品の精度調整や製造を可能にしました。
さらに1847年には、巻き上げとセッティングに鍵を必要とする懐中時計が主流の時代に、鍵の要らない「竜頭巻き時計」を発明し、1851年にロンドンで開催された第1回万国博覧会において、精密機械分野での業績が認められ金賞を受賞しています。
その後、アントワーヌの息子エリー・ルクルトが工房を継ぎ、1866年にはジュウ渓谷に本格的なマニュファクチュール(自社一貫体制で製作する時計メーカー)「LeCoultre & Cie 」を設立します。
当時、時計製作におけるいくつもの工程は、数100を超える家内工房で分担して行うのが一般的だったため、時計職人や工房を一つの場所にまとめることで、生産性を高めることが可能になりました。
やがてスタッフは500人を越え、このルクルト家のマニュファクチュールは「ジュウ渓谷のグランド・メゾン」と呼ばれるようになりました。
名作「レベルソ」とブランド「ジャガー・ルクルト」の誕生
1900年代に入ると、スイスの高級時計ブランド「パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)」のムーブメントの大半を手がけるようになり知名度はますます高まりました。
そんな中1903年、フランス・パリに拠点を置き、フランス海軍の時計を手がけていた時計職人エドモンド・ジャガーから、スイスの複数の時計職人に、超薄型ムーブメント(キャリバー)の開発・製造の依頼が提案されてきました。
LeCoultre & Cie 社では、アントワーヌの孫で、当時製造責任者であったジャック・ダヴィド・ルクルトがこの難題を引き受け、超薄型ムーブメント(キャリバー)の開発に着手し、見事に作りあげることに成功します。
1907年にこの成功がきっかけで生まれたのが、「ルクルト製キャリバー145」という厚さ1.38mmという世界で最も薄いムーブメントで、現在でも懐中時計用ムーブメントとしては最も薄いものとして記録されています。
また、同年にはエドモンド・ジャガーが、有名な宝石商カルティエ(Cartier)と自らのムーブメントをカルティエの時計に採用する専属契約を締結し、ジャガーのムーブメントの製造はLeCoultre & Cie 社で行いました。のちに彼はカルティエ(Cartier)の代表作「サントス」を手がけることになります。
一方で、LeCoultre & Cie 社においては、ムーブメントや部品の供給メーカーから、時計メーカーとして本腰を入れるようになります。
1928年に、気温の変化を動作エネルギーに代えて動く永久置き時計「アトモス」を開発し、1929年には、世界最小の手巻きムーブメント「キャリバー101」を発明します。
そして1931年、今もジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)を代表する名作「レベルソ」が誕生します。
当時、貴族階級の間ではポロが流行っており、インドに駐屯していた英国人将校から、「ポロ競技の激しい衝撃にも耐えられる腕時計を作って欲しい」という要望を受け生まれた腕時計です。
ラテン語で「回転する」という意味を持つ「レベルソ」は、時計本体を回転させ裏返しにして、ガラスや文字盤を衝撃から守る仕組みで、のちにポロ競技者だけでなく軍用にも採用されることになります。
現在でも、ロングセラーモデルとしてメンズ・レディースともに人気が高い腕時計です。
また、このような時計メーカーとしての活躍の裏には、長年のエドモンド・ジャガーの協力もあり、1937年ついに両者は統一し、時計ブランド「ジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)」が誕生するのです。
独創的なアイデアに満ち溢れるタイムピースの数々
ブランド名が、ジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)となり、時計ブランドとしてさらなる躍進を遂げます。
1953年に竜頭を持たない自動巻き腕時計「フーチャーマティック」、1956年に世界初の自動巻きアラームウォッチ「メモボックス」、1968年にアラーム機能付きダイバーズウォッチ「ポラリス」など、独創的なアイデアに満ち溢れる数々の歴史的なタイムピースが生まれます。
特に、「ジオフィジック」コレクション(シリーズ)と「マスター」コレクション(シリーズ)は、ジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)の代名詞として今日に至ります。
「ジオフィジック」コレクション(シリーズ)は、1958年の国際地球観測年に南極大陸の研究する人たちのために少数限定でつくられた腕時計「ジオフィジック・クロノメーター(クロノグラフ)」が前身となり、耐磁性・耐衝撃性・防水性に優れ、一時は伝説のモデルとして「幻の時計」と言われましたが、2014年に復刻し、2015年からはレギュラーモデルとして展開されています。
また、「マスター」コレクション(シリーズ)は、 1992年から発表されたジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)の技術の結晶であり、顔とも言えるコレクションで、特に「マスター・コントロール」、「マスター・ウルトラスリム」、「マスター・グランド・トラディション」などは人気が高く、「マスター・コントロール 」に着想を得たレディースコレクション「ランデヴー 」は現在もシリーズ展開されています。
そして、有名な「1000時間コントロール」と呼ばれる独自の品質検査テストを最初に実施したモデルも「マスター・コントロール」になります。このテストは、名前の通り1000時間に渡って精度などの6つの項目の検査を行います。ちなみに1000時間という長さは、他の一流ブランドやメーカーの検査においても常識を超えるほど長い時間と言われています。それほどジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)は、製品の品質管理に徹底したこだわりを持っている証しだと言えるでしょう。
2000年には、カルティエ(Cartier)を中心とし、ヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin)やインターナショナルウォッチカンパニー(IWC)と言った有名時計ブランドが名を連ねるリシュモングループの傘下に入りますが、その活動は本業を超え多岐に及び、海洋保護の活動では「ユネスコ」と、モータースポーツの分野ではイギリスを代表する高級スポーツカーメーカー「アストンマーティン」、さらにポロの団体など、多様な分野で複数のパートナーシップを結んでいます。
また、近年ではヴェネチア映画際のスポンサーにもなり、レッドカーペットを歩くセレブ達が、ジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)の時計を着用している姿が見受けられます。
パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)やヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin )、オーデマ・ピゲ(AUDEMARS PIGUET)といった名だたる時計ブランドへムーブメントを提供しつつも、今もジュウ渓谷にあるマニュファクチュールには、創業当時から継承される「時計業界の技術屋」としてのクラフトマンシップや自社製品における発明への探究心が衰えることなく根付いています。
それこそがジャガー・ルクルト(JAEGER-LECOULTRE)の時計が、世界の時計愛好家たちを今なお魅了して止まない所以ではないでしょうか。