皇室のティアラとジュエリーについて

2019/06/15

元号も令和に変わり、新たな天皇陛下が御即位されました。また、「即位後朝見の儀」で新皇后雅子さまが着用されていたティアラにも、世間の注目が集まりました。このように世界の王侯貴族にとってなくてはならない宝飾品。この度は、日本の皇室にスポットを当てて触れてみたいと思います。
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皇室とジュエリー

 令和の時代を迎え、皇室関連の明るい話題が世間を多く賑わせていますが、その中でも女性皇族の方々が儀式の際にお召しになるドレスや宝飾品に目を奪われてしまう方も多いのではないでしょうか。ちなみに「皇室」とは、日本の天皇陛下をはじめ皇族の総称を指します。
 そもそも、日本に本格的に西洋のジュエリーが渡ってきたのは幕末だと言われていますが、当時は男性を対象とした懐中時計などの宝飾品が多かったそうです。女性向けジュエリーが記録として出てくるのは、明治5年にフランスから昭憲皇太后(明治天皇皇后)のために届けられたことが記録にあります。また、昭憲皇太后のお詠みになった御歌にも、金剛石(ダイヤモンド)の名が出てきます。
 明治初期、政府は急激に西洋化を推し進め、皇族が洋装で公の場に出る機会が多くなり、そのため身に着けるためのジュエリーを国産ではなく主にヨーロッパから取り寄せていました。
 明治18年には、現在まで代々受け継がれている皇后陛下の第一ティアラや、3連のダイヤモンド・リヴィエール(首飾り)やブレスレットなど、ヨーロッパのジュエラーへ制作依頼したものが宮内省(現:宮内庁)に納品されました。
 また、この受託元のジュエラーには、あのグランサンクで有名なフランス王室御用達ジュエラー「ショーメ(CHAUMET)」も名を連ねていたそうです。
 皇室のジュエリーを日本の宝飾店が手がけるようになるのは、大正13年に皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)がご婚儀に際し、皇太子妃のティアラなどの宝飾品を宮内省御用達の貴金属装身具業者として、御木本真珠店(現:ミキモト)が手がけたのが発端と言われています。
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皇后陛下のティアラとは

 まずは、ティアラ(宝冠)について説明しますと、女性用の冠の一種で西欧の王室や日本の皇室などで礼装に用いられることが多く、日本の女性皇族の場合、成人なると新たなティアラを製作したり、過去のティアラをその時代に合わせたデザインにリメイク加工を施したりしますが、その製作加工業者の選定は現代は入札により選ばれています。
また、皇后陛下と皇太子妃には由緒のあるティアラが、御即位により引き継がれています。

 日本にティアラが渡ってきたのが、前述でも紹介させていただいた明治18年の昭憲皇太后(明治天皇皇后)のティアラと言われ、その後このティアラは「第一ティアラ」として皇位継承とともに、その后(きさき)である皇后陛下に約130年代々受け継がれていきます。
 大粒のダイヤモンドが特徴である皇后第一ティアラは、ドイツのレオンハード&フィーゲル製と言われ、天照大神をモチーフにしたと伝えられる星(太陽)の飾りは取り外すことができるようになっているとのことです。お代替わりの際、着用しやすいように調整をされ、「即位後朝見の儀」で新皇后雅子さまが着用されていたティアラも、この「第一ティアラ」になります。
 また、大正6年製作の皇后第二ティアラは、貞明皇后(大正天皇皇后)への謹製で、菊をモチーフにデザインされています。

 皇太子妃第一ティアラについては、前述の大正13年皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)ご婚儀に際し、大正12年にのちの香淳皇后(昭和天皇皇后)お召しのものとして、御木本真珠店(現:ミキモト)が謹製し、皇太子妃第二ティアラに関しては、真珠の使われ方が印象的なデザインで、上皇后美智子さまが皇太子妃時代に外遊でお召しになっています。
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老舗ジュエリーメーカーと皇室の関係

 皇室と老舗ジュエリーメーカーの関係として、明治24年より大日本帝国憲法下において「宮内省御用達」制度があり、厳しい審査をくぐり抜けた業者のみがその商標と納入が許可されていましたが、戦後の昭和29年に制度は廃止になります。もちろん、現在も「宮内庁御用達」と自称する業者は存在しますし、制度廃止前より皇室とのお付き合いがある老舗も存在します。
その中で老舗ジュエリーメーカーとして、今も皇室と繋がり深い「ミキモト(MIKIMOTO)」と「和光(WAKO)」について触れてみたいと思います。
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ミキモト(MIKIMOTO)

 真珠の母貝となるアコヤ貝の養殖に世界で初めて成功した御木本幸吉が、明治32年に「御木本真珠店」として創業したのが「ミキモト(MIKIMOTO)」の始まりです。現在、ミキモト(MIKIMOTO)の真珠は「ミキモト・パール」として世界的に名を馳せ、真珠以外にもダイアモンドなどの宝石を取り扱うハイジュエリーブランドとして成功をおさめています。
 皇室との関係は、明治40年に、日本初の装身具加工工場「御木本金細工工場」を開設し、大正13年には、貴金属装身具業者として「宮内省御用達」に選ばれました。同年にひらかれた皇太子裕仁親王のご婚儀に際しては、皇太子妃のティアラをはじめ装身具(ジュエリー)の製作を手がけ、昭和34年には、婚礼に際し香淳皇后より美智子さまが譲り受けた皇太子妃第一ティアラの調整も手がけています。
 最近では、秋篠宮文仁親王殿下の第二女子 佳子さまが、平成26年12月の「成年の儀」でお召しになるティアラやネックレス・ブレスレット等の製作を初めて公募し、ミキモト(MIKIMOTO)が入札しています。ちなみに製作予算は2892万円と言われています。
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和光(WAKO)

 東京・銀座のシンボルとして時計塔が有名な「和光(WAKO)」の前身は、明治14年に服部金太郎が創業した「服部時計店」(現:セイコーホールディングス「SEIKO」)になります。戦後の昭和22年に、小売部門が独立し株式会社和光が設立されます。現在は、高級装飾品を扱う専門店として知られています。
 皇室との関係については、皇族の方々へティアラを納めた実績を持ち、近年では、平成23年に秋篠宮文仁親王殿下の第一女子 眞子さまが「成年の儀」でお召しになったティアラをはじめとした装身具(ジュエリー)を謹製しました。ちなみにこちらの製作予算は2850万円と言われています。

 以上になりますが、まだまだ皇室とゆかりがある老舗はたくさん存在しますし、江戸金型師などの職人たちも皇室のジュエリーを手掛けています。これからも皇室の方々がお召しになる気品溢れる美しき衣装や、宝飾品数々から目が離せません。

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