パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)の歴史

2019/12/04

パテック・フィリップ時計画像

世界三大高級時計メーカーとして知られるパテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)。文字盤の針ひとつにしても完璧と言わしめる世界最高峰のマニュファクチュールは、創業から約180年の永い伝統と歴史を誇ります。今回はこの名門の成り立ちから現在に至るまでの歩みを紹介したいと思います。

時計界に君臨する名門の輝かしい伝統の始まり

ヴァシュロン・コンスタンタン(Vacheron Constantin )、オーデマ・ピゲ(AUDEMARS PIGUET)と並び、世界三大高級時計メーカーとして知られるパテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)は、創業から約180年に渡り一度も途絶えることなく、数々の傑作を産み出してきたスイスの名門マニュファクチュール(自社一貫製造する時計メーカー)です。

1812年にフランスのナポレオン1世に勝利したロシア帝国は、現ポーランドの一帯を支配下におき、当時は近隣諸国に亡命するポーランドの人々が後を絶ちませんでした。
その亡命者の中に、ポーランドの貴族の出であるアントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(通称:アントニ・パテック)がいました。
彼はスイスのジュネーブに安住の地を求め、自身の資産を当時黎明期であったスイスの時計業界に注ぎ込みます。
1839年、時計師のフランソワ・チャペックとともに「パテック・チャペック社」を設立し、これがパテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)創業の始まりになります。

一方、フランス・パリではジャン・アドリアン・フィリップというフランス人時計師がいました。当時の時計(懐中時計)は動力となるゼンマイの巻き上げと時間合わせを、専用のカギを使って行っていましたが、彼は竜頭を利用した巻上げ・時刻合わせを搭載した画期的な時計の機構を開発し、1844年のパリ産業博覧会に出展し銅メダルを授与されます。

偶然、パテックは自社製品を博覧会に出展するため会場に訪れており、フィリップの開発した「竜頭巻上げ・時刻合わせ」の機構に感銘を受け、二人は運命的な出会いを果たします。
意気投合した彼らは、翌年の1845年に「竜頭巻上げ・時刻合わせ」機構の技術特許を取得し、パテックは技術者としてフィリップを自社に招聘します。しかし同時に、共同創業者であったチャペックが会社を去り、社名は「パテック社」となります。

1851年になると、イギリス・ロンドンの万国博覧会に出展し、ヴィクトリア女王をはじめとする多くの著名人より「世界初の鍵なし時計」が賞賛され、彼らの時計はヨーロッパ中に名声を博します。
事業が軌道に乗り始めフィリップが正式に経営者に加わったことで、同年に社名を「パテック・フィリップ社(Patek & Philippe Cie)」に改めます。

1868年には初の腕時計を製作するなど、意欲的に製品開発を試み会社は成長していきますが、1877年にパテックが亡くなります。
その後の経営はフィリップが担いましたが、1891年に彼の息子のジョセフ・エミール・フィリップに高齢のため経営を譲り、自身はその3年後の1894年に亡くなります。
経営を引き継いだジョセフも1907年に亡くなってしまい、その息子であるアドリアン・フィリップが会社の経営を引き継ぎます。
そして、創業以来の経営危機が訪れるのです。

パテック・フィリップ時計画像

新たなる出発と確固たる地位の確立

第一次世界大戦後、欧米を中心に世界恐慌が起こり、パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)もまた経営が立ち行かなくなります。そこに資本の手を差し伸べたのが、当時文字盤製造会社の経営者だったジャン・スターンとシャルル・スターン兄弟でした。
1932年には、このスターン兄弟がパテック・フィリップ社の経営権を取得し、創業一族のアドリアン・フィリップが退き、ジャン・フィスターという人物が社長に就任しますが、その後は現在に至るまで経営権はスターン一族による同族経営が続いています。
社名も現在まで続く「パテック・フィリップ(Patek Philippe S.A.)」の名前に変更されます。新たな経営陣も創業者の遺志を継ぐべく、創業者二人の名前は社名から消しませんでした。

そして、新体制で経営を立て直しを図るため発表されたのがドレスウォッチの傑作「カラトラバ96」でした。1932年の発表から、今も続くこのコレクションはパテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)の代名詞でもあり、日本の皇族にも愛用されたほどです。
1933年には、アメリカの銀行家でありウォッチコレクターのヘンリー・グレーブス・ジュニアのために、当時「史上一番複雑な時計」と言われ、超複雑な機構を搭載したグレーブス・ウォッチを製作します。

1976年には「ノーチラス」コレクション、1989年には、創業150年を記念し設立当時からの伝統技術である33複雑機能を持つ世界で最も複雑な「キャリバー89」、1993年には「ゴンドーロ」コレクションなど、精力的に新たな傑作を発表していきます。

経営面では1958年に、ジャン・フィスターが社長を退き、オーナーであるシャルル・スターンの息子アンリ・スターンが社長に就任します。1993年には、その息子フィリップ・スターンが社長就任し、2009年には、フィリップが名誉会長になり、その息子のティエリー・スターンが社長に就任し現在に至っています。

こうして数々の特許や複雑機構の開発、名作コレクションを発表し続け、パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)は時計界の確固たる地位を確立したのです。
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パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)が世界最高と言われる理由

パテック・フィリップ(PATEK PHILIPPE)が世界最高と言われる所以は、開発技術のクオリティーだけとっても日付を自動調整する「パーペチュアルカレンダー」など最高技術のコンプリケーション(複雑機構)が数多ありますが、「品質管理・品質保証」という側面においても世界最高の基準だからだといえます。
創業以来の顧客名簿が数百冊におよび厳重に台帳管理されていて、「百年以上前のモデルであっても必ず修理する」と永久修理を約束しています。
その顧客リストには、ローマ教皇、アインシュタイン、ワーグナー、チャイコフスキー、トルストイ、ウォルト・ディズニー、クラーク・ゲーブルなど錚々たる人物が、日本においては徳川15代将軍・徳川慶喜、大正天皇、昭和天皇までもが名を連ねています。

また、2009年には独自の永続的な品質を保証する「パテックフィリップ・シール」を制定します。それまでは、スイス政府及びジュネーヴ州によって規定された最高級スイス時計の証「ジュネーブ・シール」を刻印して保証していましたが、「パテックフィリップ・シール」はそれを上回る厳しい基準で、自社で作られた全てのムーブメントからケースなどの外装に至るまで、品質やアフターサービスを保証する仕組みを作り「世界最高基準」を世に知らしめました。

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