アンテプリマ(ANTEPRIMA)の歴史

2017/03/15


ワイヤーバッグが有名なアンテプリマですが、実はこのブランドを立ち上げたのは日本人女性の荻野いづみなのは皆さんご存知でしょうか?
元会社員でも、デザイナーでもなく主婦だった彼女がまさにゼロからスタートを切り、今では日本人女性で唯一ミラノコレクションに公式参加しております。
今回は、アンテプリマと共に彼女のこれまでの人生も合わせてご覧頂けたらと思っております。

それは、運命性を感じさせる彼女の歴史

彼女が生まれた東京では、祖父が銀座にて帯屋・帯吉を営んでおり、また彼女の父親は帯吉でデザイナーとして働いていました。
やがて、彼女も学生時代にはそこでアルバイトとして働き日本の伝統文化、商いというのを肌で感じていくことになります。

大学生になると在学中に結婚し、学校を辞めて当時の夫とアメリカへと渡ります。
彼女の夫が立ち上げた会社が軌道に乗り、アメリカではかなり優雅な生活を送っていたのだそうです。

まだ20代だったこともあり、英会話やお料理教室、宝石のデザイン、ファッションといった自身が興味のあるものは片っ端から習いはじめ、吸収していきます。
ここまで聞いていると、アンテプリマを立ち上げたことに何だか運命性を感じませんか?

実家は帯屋、アメリカでの習い事もゆくゆくは彼女の手助けとなるものばかり。
当時は、就職してめまぐるしい日々を過ごしていたかつての同級生たちを見て焦りを感じたのがきっかけだったそうです。
そんな中、彼女が選んだ選択の数々に、のちにアンテプリマへとつながる道筋を感じずにはいられません。

彼女の中に眠っていた商人の血

30歳を前に彼女の中にある変化が生まれます。
それは「自分の意志で、人生の目的をしっかりと定めて生きよう」という自立への決意といえるものでした。

夫との気持ちがすれ違ってきたこともありやがて離婚。
その後、周りの後押しにより宝石と毛皮のセールスを頼まれた彼女はパーティーを開催し、そこで販売を行います。
結果は本人が驚くほどの大成功。
やはり彼女にも祖父や父親と同じように商人の血が流れていたのかもしれません。
そしてこの時彼女は当時、香港でニットのOEM事業で成功していた荻野正明と出逢います。
後に公私ともにパートナーともなる相手でした。

その後、彼女は知り合いからPRADAの香港への展開について声が掛かりいよいよ本格的にファッション界へと足を踏み込みます。
荻野正明に出資を頼み、香港で店舗運営を始めるわけですが、今までに幾多の勉強をしてきた彼女も店舗運営に関しては全くの素人であり、言ってしまえば右も左も分からない状態。
それでも彼女は香港に在住しているファッションブランドの各社長に頼み込み、運営についてのノウハウを学びます。
次第にその努力が実を結び、PRADAの香港店は繁盛しここでも彼女は成功を収めます。

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ブランドネームに込められたメッセージ

PRADA香港店が成功してからのある時、イタリア本社から「香港店も自分達で行うから返還するように」と指示を受けたのです。
彼女にとって全身全霊で注ぎこんだお店だった為に、ショックは大きかったそうです。
しかし、お礼ということで自分のブランドを作る許可を頂けた彼女が喜び立ち上げたのが「アンテプリマ」。

アンテプリマはイタリア語で「デビュー前」を意味し、何事も未経験だった彼女が自身を元に考え、女性がデビューするのに遅いことはないというメッセージが込められています。
初期の頃はPRADAのデザイナーや工場を共同で使えていたのですが、別の新しいブランドを立ち上げることになり彼女が持つアンテプリマは独立することに。
場所をイタリアミラノに移した彼女はたった一人で人材を集めます。
その後、何とか再スタートを切ったアンテプリマでしたが、デザイナーも工場も今までと変わってしまった為、中々思うようにいかず苦戦する日々が続きます。
そうして必死にもがいていた中、完成したのがあのワイヤーバッグだったのです。

誕生のヒントは夫である荻野正明が持つニット工場。
ニットを見て編むバッグを作ろうとひらめいたのだそうです。
最初は周囲に反対されましたが彼女には日本の女性になら絶対ヒットするという確信がありました。
ワイヤーバッグなら日本の満員電車でバッグが潰れてもすぐに元通りになり、重さも軽い。
見た目も華やかなので日中は働き、夜はそのままお出かけすることも出来る。
様々なシーンで活躍できるワイヤーバッグは彼女の想像以上の大ヒットでした。

そこから、アパレルへの進出を決意し1999年にミラノコレクションへ参加。
これは現在でも変わらず日本人女性唯一の存在として活躍し続けております。

アパレルでは特別な一人の女性よりも一般的な日常生活を過ごしている女性に赴きを置いているのだそうです。
最近では、彼女が20代に経験したお料理教室を活かそうと新しくオープンした銀座の旗艦店でアンテプリマ初のレストランを備えました。
今後は自身が年間で飛行機を100回以上乗っている経験を元に旅行関係に目を向けていることからもアンテプリマの今後が非常に楽しみです。
いつだって世の女性達の立場になってデザインや企画を考えるところが人気である理由なのです。