パディントン、ラゲージの生みの親|フィービー・フィロ

2017/03/30


現在、セリーヌのクリエイティブディレクターを務めているフィービー・フィロ。
過去にはクロエでもデザインを手掛け、数々の大ヒットを生み出しました。
20代の若さで数々の結果を残してきた彼女について調べました。

一人の友人が彼女の人生を大きく動かす

フィービー・フィロは1973年、パリで生まれその後はロンドンで育ちます。
大学は過去に何人もの著名なデザイナーを輩出したセントラル・セント・マーチンズ大学、通称CSMに入学。
ここで彼女は後にビジネスを共にするステラ・マッカートニーと出会います。
大学卒業後、フィービー・フィロはロンドンで働き、やがてステラ・マッカートニーが立ち上げたブランドのお手伝いを始めます。

1997年、ここでフィービー・フィロにとって人生のターニングポイントとなる出来事がありました。
それはクロエの親会社であるリシュモンにスカウトされたステラ・マッカートニーがフィービー・フィロも一緒に入らせて欲しいと頼んだのです。
この一言が無かったらフィービー・フィロの“今”はもしかしたら多少は違っていたのかもしれません。

彼女自身も「当時はまだ私のデザインを知る人は誰もいなかった」と話しております。

売上を就任前の約5倍にまで伸ばす

クロエに入社した彼女はステラ・マッカートニーのアシスタントとして働きながらもその華やかなセンス、女性の心を掴んでくるそのデザイン性は今までのクロエの雰囲気を変え、一気に若者たちの人気を呼びます。
やがてステラ・マッカートニーは自身のブランドを立ち上げるべく、クロエを退職。

クロエは後任としてアシスタントで活躍していたフィービー・フィロをクロエのクリエイティブディレクターに抜擢。
そしてフィービー・フィロはクロエで新作のバッグ「パディントン」を発表します。
それはシンプルなデザインでありながら豊富なカラーを始め、使っていく度に味の出る仔山羊革が使用され、さらにパドロックキーと呼ばれる大きな鍵が高級感&チャーミングな印象を与え、結果パディントンは大ヒットを記録。

入社してからの彼女の活躍によりクロエは売上を今までの約5倍にまで伸ばしたのです。
その後、2006年に家族との時間を優先する為クロエを退職しファッション界から一度姿を消します。

彼女の魅力はその生き方なのかもしれない

クロエを退職してからの2年後となる2008年。
今度はセリーヌにてクリエイティブディレクターとして復帰したフィービー・フィロ。

実は、家族と時間を過ごす中セリーヌの親会社であるLVMHファッション部門CEOであるピエール・イヴ・ルーセルから約1年にわたり、彼女への熱烈なオファーが復帰へのきっかけだったそうです。
2年ぶりに復帰した彼女はそのブランクを全く感じさせない活躍ぶりをみせます。

その一つとして彼女がデザインしたセリーヌのバッグ、ラゲージです。
その機能性の高さと高級感が人気となり、大きさの種類も実に豊富です。
また、色はブラックでミディアムと呼ばれる大きさのラゲージなら男性でもお洒落に使いこなす事が出来るのです。
世界中のセレブに愛されたラゲージはセリーヌのアイコンとなり、第二のバーキンと呼ばれる不動の地位を築き上げました。

これまで、クロエ、セリーヌにて大活躍をしてきたフィービー・フィロ。
その中でも仕事以外のプライベートをしっかり確保し家族を大事にしてきた彼女は現在、3児の母。
そんな仕事とプライベートを両立させてきた彼女の生き方に世の女性たちは憧れを抱き、また勇気を貰った人たちも少なくありません。
デザイナーとして一人の女性として魅力的な女性、フィービー・フィロでした。