ルイ・ヴィトン(louis vuitton) 日本との関わり

2018/04/26

ルイヴィトンネヴァーフル画像
モノグラム柄のモチーフは日本の家紋であったりルイ・ヴィトンの海外初出店は日本だったなど意外と私たちの住む日本と関わりのある高級ブランドルイ・ヴィトン(louis vuitton)。
今回は過去と現在において日本とルイ・ヴィトン(louis vuitton)の関わりについて調べてみました。

コピー品防止策

ルイヴィトン(louis vuitton)のモノグラムは皆さんも一度は街中や電車の中で見かけた経験はあるのではないでしょうか。今ではルイヴィトン=モノグラム柄で世の中において定着されているかと思われます。では、モノグラム柄とダミエ柄、どちらが初めにデザインされたかご存知でしょうか。実は後者のダミエ柄がルイヴィトン(louis vuitton)の初めてデザインされたラインだったんですね。
西暦ではダミエ柄が1888年、そして1896年に創設者であるルイ・ヴィトンの長男ジョルジュ・ヴィトンがコピー品防止策としてモノグラム柄をデザインしました。
このモノグラム柄を作るに当たってモチーフになったのが日本の家紋でした。
当時、ヨーロッパではジャポニズムが流行しておりそこから閃いたと言われています。
初期のデザインは現在のプリントではなく、職人が全て手描きをしてモノグラム柄を生み出していた為、偽物業者は再現することが出来ずやがて、街中からコピー品がみるみるうちに減っていったのだそうです。
ルイヴィトン財布画像

「板垣死すともヴィトンは死せず」

私たちの住む日本において最初にルイヴィトン(louis vuitton)を購入したのは誰だったのか。
これまでは幕末の動乱を駆け抜け、明治維新にて活躍した後藤象二郎が有力説とされてきました。が、去年の2017年6月、後藤象二郎よりも早く購入した人物が発覚。
それはかつて「自由民権運動」を起こし、選挙のあり方を変えた板垣退助でした。
彼は後藤象二郎よりも3週間ほど早くフランスでトランクを購入した事が板垣退助を顕彰する「板垣会」、板垣退助の子孫によって明らかとなりました。決定的な証拠となったのが
トランクに刻印されたシリアルナンバーでした。2017年に東京で行われたルイヴィトンの展覧会をきっかけに公文副理事長が過去の購入履歴を照会。そこには「itagaki」とシリアルナンバーが記載されており、板垣退助の子孫が保管していたトランクのシリアルナンバーと一致。この出来事はヤフーニュースとしても取り上げられ、SNSでは「板垣死すともヴィトンは死せず」といった彼の名言になぞらえた呟きが多数確認されました。
現在、板垣退助のトランクは高知市立自由民権記念館にて保管されております。

大人気ユーチューバーがルイヴィトンを大人買い!?

去年の2017年7月、ルイヴィトン(louis vuitton)はファッションブランド「シュプリーム」とのコラボが実現しました。東京の青山にて約2週間行われたのですが、ここに訪れたのが大人気ユーチューバー「ヒカキン」(HIKAKIN)でした。実はこのコラボ企画、足を運べば誰でもお店に入場出来るわけではなく抽選で選ばれた方だけがお店に入ってお買い物が出来るというシステムだったんですね。参加者は約一万人という非常に狭き門だったわけなのですが彼は見事抽選に当たりました。その様子が動画サイトユーチューブ(Youtube)にアップされており、中々お目にかかれない店内の様子を見ることが出来ます。今回、ヒカキンはブランケット、お財布にジャケットなど全部で7点を購入。さらに、二つで1400万円のトランクを予約という大人買いを極めた彼の動画は一千万再生を越え子供たちからネットにおいて大変話題となりました。そしてついに今月、その予約したトランクが届いた様子が動画で公開されております。映像だけでも大変貴重なものです。中身や付属品まで詳細に紹介されておりますので是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。
ルイヴィトン×シュプリームバンダナ画像