クリスチャンディオール (Christian Dior)の歴史

2022/04/19

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オートクチュール(高級仕立服)のメゾンとして知られ、世界中のセレブ達から愛されてやまないブランド「クリスチャンディオール (Christian Dior)」。
服飾をはじめ、ジュエリー・バッグ・コスメなど幅広く展開し、男女を問わず人々を魅了し続けるメゾンの歴史を紹介させていただきます。

偉大なるクチュールメゾンの誕生

数々の革新的なスタイルを生み出し、創業者でありデザイナーのクリスチャン・ディオールから、その名を冠したラグジュアリーブランド「クリスチャンディオール (Christian Dior)」。
近年は他のブランド同様に、創業者のファーストネームを省略する傾向から、略称として「ディオール(DIOR)」の名で呼ばれることが多いです。

クリスチャンディオール (Christian Dior)といえば、服飾・香水・コスメ・バッグや皮革製品・ジュエリーなど多岐にわたり展開するブランドというイメージがありますが、創業から続くオートクチュール(高級仕立服・高級注文服)のメゾンとして、ファッション界においては世界的に知られています。
特に本国フランスにおいては、「シャネル(CHANEL)」と並び称されるクチュールメゾンです。

創業者のクリスチャン・ディオールは、フランス北西部ノルマンディー地方のグランヴィルにて、裕福な実業家の家庭に1905年、5人の子供の2人目として生まれます。自然豊かな環境と貴族家系出身の母の影響を受け、芸術や造形に興味を持ち、後にデザイナーとして発揮される才能が、この時期に培われたとも一説には言われています。
この幼少期を過ごした美しい生家は、現在「クリスチャンディオール美術館」として公開されています。

グランヴィルにて幼少期を過ごした後、ディオール家はパリに移住し、両親は外交官になることを望みましたが、クリスチャンは建築家を志し建築における装飾技術を学びました。
この経験や技術が、のちに数々の革新的なファッションスタイルの生み出すベースとなったのでしょう。
また芸術にも興味があった彼は、父親からの援助で友人とともに1928年に画廊を持ちますが、1930年代に入り世界恐慌の影響で父の会社は倒産、クリスチャン本人は病に倒れ長期療養を余儀なくされ画廊は閉店、ディオール家は経済的にも精神的にも辛い時期を過ごします。
クリスチャンは病が開けると、当時パリで人気のスイス生まれのクチュリエであったロベール・ピゲのもとで1938年から働き始めますが、徴兵によりピゲのメゾンを離れることになります。
服役後の1941年、フランス人の偉大なクチュリエであったリュシアン・ルロンのもとでアシスタントを務め、同時期に同じアシスタントとして、後にフランスを代表するデザイナーとなる盟友ピエール・バルマンと出会います。
そして、ルロンのメゾンで働くクリスチャンに人生の転機が訪れます。繊維王や木綿王と呼ばれた大富豪マルセル・ブサックから、その才能が目に止まり資金援助を受けて、1946年にオートクチュールのメゾンを立ち上げます。これが「クリスチャンディオール (Christian Dior)」の始まりとなります。

翌年の1947年には、自身初のオートクチュール・コレクションを発表し、曲線を強調し細く絞ったシルエットのロングスカートと、その美しいデザイン(ライン)が「ニュールック」と呼ばれ、鮮烈なデビューを飾ります。その後、バーティカルライン・オーバルライン・チューリップライン・Hライン・Aラインと、毎年次々と新たなデザイン(ライン)を発表し、世界のファッション業界を席巻します。
また、1948年には、香水部門の「パルファン・クリスチャン・ディオール」もスタートさせ、今でも愛され続けている香水「ミス・ディオール」が生まれます。1954年にはコスメラインもスタートし、クチュールメゾンによるコスメティック製品の発売が初めてであったこともあり、大きな話題を呼びます。

このように世界的な人気を博すブランドとなった「クリスチャンディオール (Christian Dior)」ですが、創業者であるクリスチャンは、デビューから凝縮した10年あまりを駆け抜け、1957年わずか52歳の若さで心臓発作により急死してしまいます。
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ムッシュ・ディオールの美学の継承とそれを支えたデザイナーたち

ムッシュ・ディオール(創業者の愛称)が急逝したメゾンはその後、歴史に名を刻む歴代の主任デザイナー(アーティスティック・ディレクター)達によってその美学が継承され、彼らの新解釈によってコレクションを発表し、ブランドとして支え続けられて現在に至ります。

まず1957年、最初に就任した主任デザイナーこそが、のちにモードの帝王と呼ばれたイヴ・サンローランです。
彼はムッシュ・ディオールの存命中から、自身と共通したデザインセンスを持っていると見抜き、後継者の一人としてメゾンに迎えられていました。
1958年、サンローランによるディオール(DIOR)最初のコレクションで「トラペーズライン」を発表し、当時の新聞には「イヴ・サンローランはフランスを救った。偉大なるディオールの伝統は続く」と称讃されます。
しかし、1960年アルジェリア戦争に徴兵されメゾンを離れます。

同年(60年)、その後継としてマルク・ボアンが就任し、以降1989年までの約30年間主任デザイナーとしてメゾンを支えていきます。
彼が発表したライン「スリムルック」は評判を呼び、大女優エリザベス・テイラーは即座に12着購入したという逸話も残っています。
ちなみに現在のアーティスティック・ディレクターであるマリア・グラツィア・キウリも、マルク・ボアンのデザインを参考にすることが多いそうです。
1967年プレタポルテ(高級既製服)、1970年メンズラインをそれぞれ展開しますが、70年代に入ると経営危機を迎え、1978年には親会社のマルセル・ブサック・グループが倒産し、さらに状況が悪化していきます。
しかし1984年、ファッション界の法王やターミネーターなどと異名を持つベルナール・アルノーが経営を引き継いだことで、再建への見通しが立ちはじめます。
ちなみに、2017年アルノー率いる世界最大とも言われる巨大コングロマリット(複合企業体)「LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)」グループが、「クリスチャンディオール (Christian Dior)」を買収し完全子会社化にしています。

そんなアルノーの経営方針から、1989年当時ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチと並びイタリア三大デザイナーと称されていたジャンフランコ・フェレが主任デザイナーに就任します。
ムッシュ・ディオールの美学やメゾンの伝統を新解釈しながら、フェレ独特のデザインの融合が見事にはまり成功をおさめます。
創業50周年の1996年には、ジバンシィ(Givenchy)のデザイナーであった、奇才ジョン・ガリアーノを主任デザイナーとして迎えます。
彼が手掛けダイアナ元妃が着た深いブルーのドレスは、メゾンを代表する名作として今も語り継がれており、ガリアーノはブランドの名声を初代と同等のレベルまで引き上げた立役者となりました。
しかし、2011年に人種差別発言によって解雇され、以降1年間レディースラインの「ディオール (Dior)」は、主任デザイナーが不在となります。

2012年、オートクチュールとは無縁のデザイナーであったラフ・シモンズがアーティスティック・ディレクターとして就任します。
彼の就任時からオートクチュールコレクション発表までのドキュメンタリー映画「ディオールと私」は、公開されると同時に話題となりました。
また彼は、洗練した花柄などのムッシュの美学を継承し、見事に成功に導きます。
2015年の「2016年春夏コレクション」を最後にシモンズが退任すると、2016年からメゾン初の女性アーティスティック・ディレクターとしてマリア・グラツィア・キウリが就任し、現在に至っています。

また、ブランド「クリスチャンディオール (Christian Dior)」が今日の人気を誇る理由に、メンズラインの存在も欠かせません
。2001年 「ディオール オム(DIOR HOMME)」(現在は2019春夏コレクションよりブランド名を改め、レディースラインとともに「ディオール(DIOR)」で共通)の主任デザイナーに鬼才エディ・スリマンが就任し、爆発的な人気を博します。
音楽、特にロックと融合したデザインは多くの世界的ミュージシャンやハリウッドスターを虜にしました。
2008年に退任すると、その後継にスリマンのもとで働いていたクリス・ヴァン・アッシュが就き、2018年から現代メンズファッションを牽引する天才キム・ジョーンズが就任し、現在に至っています。
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ディオール(DIOR)の誇る人気ラインと不朽の名作「レディ ディオール」

同じLVMH傘下の「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」に、モノグラムやエピといった代表的な人気ライン(デザイン)が存在するように、「クリスチャンディオール (Christian Dior)」にも前述の歴代デザイナーたちにより生み出された代表的な人気ライン(デザイン)が存在します。ここで定番ラインのいくつかを紹介させていただきます。

カナージュ
初代クリスチャン・ディオールが1947年に、ナポレオン3世の椅子のカナージュ柄(格子柄)に由来しデザイン、ブランドを代表するラインとなります。

トロッター
奇才ジョン・ガリアーノによって2001年の秋冬コレクションで発表されたラインで、Diorのロゴをモノグラム調にデザインし、発表されると瞬く間に注目を集め、ブランドの定番ラインとして人気を不動のものとしています。
ラスタ
こちらも奇才ジョン・ガリアーノによって2004年に手掛けられた、名前の通りレゲエで有名なラスタカラーをモチーフにしたラインになります。

ディオリッシモ
2012年に発表されたディオール最高級のラインです。ステッチや柄などは一切排除したシンプルなデザインと、バッグ等は上質な素材が用いられており、気品あふれるラインとなっています。

オブリーク
2017年マリア・グラツィア・キウリによって手掛けられたラインで、2006年に生産終了となった前述のトロッターのリバイバルラインで、新たにブックトートなどにも採用された柄であり、再び人気に火をつけました。

そのほかにも、「ロマンティック」「フラワー」「ディオラマ」「ニューロック」「アルティメイト」「ラブリー」など数々のラインが存在しており、このような人気ラインのハンドバッグ・トートバッグ・ショルダーバッグ・財布等は、モノによっては入手が困難と言われています。また、中古市場においてもヴィンテージ品などの需要も多く、買取相場も上がっています。

そして、「ディオール(DIOR)」のアイコンバッグといえば、不朽の名作「レディ ディオール」です。1995年に「カナージュ」ラインを採用し発表され、発売前にダイアナ元妃に贈られました。すぐさま元妃は気に入られ持っている姿がメディアに映るとたちまち注目を集め、もともと別名であったそのバッグは、1996年ダイアナ元妃への敬意を込めて「レディ ディオール」と呼ばれるようになりました。
そのほかにも、ディオール(DIOR)の人気を支えるバッグとして「サドルバッグ」「ブックトート」などが、若者を中心に注目を集めています。

最後に、以上のような「クリスチャンディオール (Christian Dior)」の人気を裏付ける根拠として、親会社であるLVMHが2022年1月に2021年度の決算を発表し、コロナ禍にもかかわらずコロナ前の2019年度と比べ純利益が1.7倍の水準で伸びたことを報告しています。そしてグループの増収を牽引した主力ブランドが「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」と「ディオール(DIOR)」だったそうです。
「クリスチャンディオール (Christian Dior)」とは、ムッシュ・ディオールから継承された「真のクチュールメゾン」であり、一方で多角的にビジネスを展開し進化し続ける、世界的に稀有なラグジュアリーブランドなのかもしれません。
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