日本を代表する名ブランド
2019/04/30ルイヴィトン、ロレックス、ティファニーなど世界にはありとあらゆるブランドが存在します。主にヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国から各ブランドが誕生しておりますが、わが国日本にも名ブランドが存在します。今回は、日本が世界に誇るメイドインジャパンブランドをご紹介します。
ワイヤーバッグで世界に挑戦したアンテプリマ(ANTEPRIMA)
イタリア語でデビュー前を意味するアンテプリマは、日本人女性の荻野いづみさんが1993年に立ち上げました。それ以前まではプラダ(PRADA)香港店の店舗運営を手掛けておりました。やがて、プラダの香港展開が成功すると経営事情により荻野氏はプラダ香港店をイタリア本社に返還し自身のブランド「アンテプリマ」を始めます。
ニット素材をヒントにデザインされたワイヤーバッグは、通常のハンドバッグよりも軽く、形崩れしないその柔軟性、ビーズの織りなす美しさは世界中で大ヒットします。1998年には日本人女性で史上初となるミラノコレクションに参加するまでに彼女並びにアンテプリマの知名度は大きくなりました。
真珠販売で世界一のシェアを持つジュエリーブランドミキモト
ミキモトは1899年、御木本幸吉により創業されました。元々、彼の実家はうどん屋でしたが、地元である志摩国(三重県)で採れる真珠の美しさに魅了されます。その真珠が乱獲により絶滅の危機に瀕しているとわかると、御木本氏は真珠の養殖事業を始めます。地元の美しい真珠を守る為とはいえ、まだ誰もやっていなかった真珠の養殖は赤潮被害や資金のやりくりなど並々ならぬ苦労があったそうです。
およそ3年の歳月をかけた結果、養殖場の貝から第一号となる半円真珠が見つかりました。そこから研究を重ね、多くの養殖真珠を生産できるようになり日本国内をはじめ、海外にも輸出出来るようになりました。ところが、1921年(大正10年)にヨーロッパの宝石商から「養殖真珠は本物と区別のつかない偽物」だと騒ぎを起こします。1924年には裁判となりましたが、事前に訴訟を取り下げたイギリスの協力もありミキモトの勝訴。養殖真珠が世界的に認められた瞬間でした。多大なる困難と苦労を乗り越えてきたミキモトは、現在も日本のジュエリー業界を牽引し続けています。
世界に日本の技術力を見せつけた時計ブランド「セイコー」
東京オリンピックにはじまり、札幌オリンピックや長野オリンピックにバルセロナオリンピックの公式計時担当を任されてきたセイコーは、1881年に創業し日本人の服部金太郎氏による時計の中古買取がはじまりだったと言われております。後に時計工場の精工舎を持つ株式会社服部時計店になり、時が経つと時計工場の精工舎が分離独立します。これが何度も繰り返され、現在のセイコー株式会社になりました。
「世界に挑戦する最高級の時計を作る」を理念に第1作目のグランドセイコーが誕生。そして1969年、世界初のクォーツ時計アストロンが制作され世界に大きな衝撃を与えます。それまで手巻きか自動巻だった時計に電池式が介入されたのはもちろん、当時のスイス時計は平均で−5〜+8秒の日差がありましたが、アストロン(クォーツ時計)は月差+-3秒以内という圧倒的な精巧さがありました。ここまで差をつけられては他の時計ブランドはたまったもんじゃありません。世界はどんどんセイコーへと注目していくのを皮切りにスイスの各時計ブランドは衰退の危機に追い込まれます。これが時計の歴史において大きな出来事となったクォーツショックです。
セイコーの技術力はクォーツ時計に限りません。GPS機能を備えたソーラーウォッチ(こちらもアストロンより誕生)も世界で最初に作り上げたのがセイコーであり、ゼンマイ駆動でありながら電池式に匹敵する正確さを持つ「スプリングドライブ」などなど。セイコーはかのロレックスやオメガなどスイスの時計に決して劣ることのない高い技術力のある時計ブランドなのです。