波乱万丈!フランスの高級ブランド ディオール(Dior)の歴史

2020/05/20

ディオール/バッグ画像①
コットン王と呼ばれるマルセル・ブサックの支援を受け独立し創業されたディオール(Dior)。今回はディオール(Dior)の生みの親であり、ファッション界に革命を起こしたクリスチャン・ディオールの歴史とその後についてお伝えしたいと思います。

ファッション界の革命家「クリスチャン・ディオール」

 ファッション界の先頭に立ってきたディオール(Dior)ですが、そのすべての原点はファッションデザイナーであるクリスチャン・ディオールにあります。クリスチャン・ディオールは1905年、フランスの北西部ノルマンディー地方のグランヴィルで生まれました。もともと建築家を志していたクリスチャン・ディオールは装飾芸術を勉強していましたが、外交官になることを望んでいた彼の両親はクリスチャン・ディオールをパリの政治学院に入学させました。彼はここで学生として勉学に励むよりも、人付き合いを大切にし、自身の人間関係を構築していきました。
 その甲斐があってか1920年代の終わりに、彼は友人と提携してパリ8区に小さなギャラリーをオープンし、芸術界の黄金期を築き上げるのです。ところが1929年、世界恐慌で壊滅的な被害を受けてしまいます。また、クリスチャン・ディオール自身も病に倒れてしまい、イビサ島での療養を余儀なくされることになります。
ディオール/バッグ画像②

新たなファッションスタイル「ニュールック」

 体調が回復したクリスチャン・ディオールはパリへ戻ると、ファッションデザイナーである友人との出会いを機に、自らもデザイナーとして働き始めますが、皮肉にも1939年に第二次世界大戦が勃発。徴兵から復員した彼はニース(南フランス)周辺に避難することに。その滞在中に後のメゾン・ド・ディオールのオフィシャルイラストレーターとなるルネ・グリュオと出会います。やがて、1946年にクリスチャン・ディオールは独立し創業を始めました。同年、繊維業で成功を収め、様々な分野でパトロンとして活動していたマルセル・ブサックに出会います。彼の支援を受けたクリスチャン・ディオールは、オートクチュールのメゾン(店)を設立。翌年には初のオートクチュール・コレクションを開催しました。
 彼はこのコレクションで、ゆったりなだらかな肩に細く絞ったウエスト、長くすそ広がりが特徴のファッションを発表しました。当時パリで流行していた角ばったファッションを正面から否定し、女性らしいフェミニンなスタイルを独自の形で再現したファッションは世界中の女性を虜にしました。この新しいスタイルは“ニュールック“と呼ばれ、ファッション界の権威のある大物たちもファッション革命と宣言してしまうほどのセンセーションを巻き起こしました。その後も次々に新しいスタイルを発表し、わずか10年間という短期間ででディオールを成長させ、ファッション業界の帝王としての地位を築き上げました。
ディオール/バッグ画像③

繁栄と衰退の先にあるものは

 1957年クリスチャン・ディオール急逝後、イブ・サンローランがディオール社の主任デザイナーを21歳の若さで抜擢されます。その後はマルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレへと受け継がれます。
 ディオール(Dior)の代表作である「レディ ディオール」は1995年、当時の世界でもっともメディアに注目されていたダイアナ妃が公の場で愛用するバッグとして認知を広めました。元々は別名で発売されていましたが、1996年ダイアナ妃への敬意を込めて、妃の承認の元に「レディ ディオール」と改名されました。
しかし、長きに渡り革新性を維持することは非常に困難です。ディオール(Dior)は徐々に衰退しやがて人気も落ちてしまいます。それを決定づけたのが、ブランドの立ち上げから支援してきたマルセル・ブサックの破産でした。(本業であった繊維業の経営不振が原因とされている)ディオール(Dior)は一時的に流通大手のウィロ兄弟によって救済されることになり、アガッシュ=ウィログループに入ります。ここからディオール(Dior)の破壊と再生が始まります。デザイナーによって変化をし続けたディオール(Dior)は、成長と衰退を繰り返し、現在も高級ブランドとして在り続けています。
 創業当初より斬新なコレクションに挑み続けるディオール(Dior)は、バラエティに富んだ魅力的なモデルが多く、1995年に登場したレディディオールは20年以上経つ今でも人気を博しています。その独創性と洗練されたデザイン性に人々は惹かれ、世界中のセレブからも支持されているのではないでしょうか。

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