アレキサンダー・ワンの世界

2017/05/15


台湾系アメリカ人であるファッションデザイナー、アレキサンダーワン。
まだ32歳という若さながらも、世界を股にかけ活躍しております。

初めてのファッションショーは15歳のときでした。

1984年、アレキサンダーワンはアメリカ・サンフランシスコ州で生まれました。
彼が生まれて間もなく、両親はビジネスを成功させたことで先に生まれていた兄姉と比べて、アレキサンダーワンは比較的裕福な生活を送ります。
しかし、それ故に彼の両親は多忙な仕事で不在が多く、やがてアレキサンダーワンは、寄宿学校へと入学します。
幼少期からファッションについて関心を持つようになりファッション画を描いては母親に見せていたそうです。

アレキサンダーワンが15歳になると彼の兄が結婚。
その際、兄嫁の為にと彼はウエディングドレスをデザインしてしまいます。
その数なんと35着。
それらを披露する式場はある意味アレキサンダーワンのファッションショーでもあったのです。

18歳には、地元のサンフランシスコを飛び出しニューヨークへと移ります。

家族が彼をサポートしました。

ニューヨークへ移ったアレキサンダーワンは芸術大学「パーソンズ・ニュースクール・フォー・デザイン」に入学。
ちなみに、あのマークジェイコブスもここの卒業生です。

在学中にアレキサンダーワンは、まだ設立したばかりだった「デレクラム」をはじめ数社に足を運び、インターンを経験します。
そしてここから彼は思い切った行動に出ます。
通っていた大学を中退し自身のブランド「アレキサンダーワン」を立ち上げたのです。
22歳の大きな決断でした。

サポートとして元々、洋服メーカーを務めていた義理の姉が協力しカシミア素材のニットウェアを3シーズンに渡って展開しました。
また、生産ライン、販売先に関しては彼の母親がサポート。
この体制は実に10年以上続き2015年まで二人はアレキサンダーワンを支え続けました。
家族の絆を感じますね。

2007年、遂にニューヨークコレクションにデビュー。
細身でスポーティなものから都会な雰囲気を醸し出すそのデザインは話題となります。
女性向けファッションでありながらも、黒をメインに仕立て上げたそのデザインは彼が掲げるテーマ「自立心」を物語っています。

翌年の2008年、アメリカファッション協議会ウーマンウェア部門にノミネート。
さらにCDFA/ヴォーグファッション基金アワードにてグランプリに選ばれ、見事賞金2000万を獲得しました。

彼のこだわりが詰まった逸品です。

2014年、アレキサンダーワンはデニムに手を伸ばします。
デニムで溢れているこの世界。
しかし、あえてそこに踏み込むことで、そのブランドの価値が大きく変わる。
彼はそう言い放ったそうです。

2009年からスタートしていたT by アレキサンダーワンを店舗拡充する為にもデニムは重要なパズルの1ピースでした。
自身も毎日デニムをはいていることで、作るならより良いものと約2年もの歳月をかけます。
友人達の好みを参考にアレキサンダーワンはデザインを手描きました。

こうして完成されたのがノンストレッチのビンテージデニムでした。
染色や洗浄をはじめ、作業工程の中で様々な加工を加えたことで、何とも“味のある”風合いを表現することが出来たのです。
また、発表当時の広告も話題となりました。
裸の女性がデニムを半分脱いだ状態でソファに寝そべるそのセクシーで挑発的な広告は、一度目にすると頭から離れなくなる。
それがアレキサンダーワンの狙いでした。
賛否両論を覚悟に、彼は世界の反応を楽しんでいたのだとか。

2016年にはデニムの新モデルを発表。
今後はデニム生地のスカートやジャケットなどを検討中とのことです。
お値段は少々値を張りますが、皆さんも一度アレキサンダーワンのこだわりが詰まった逸品を体感してみてはいかがでしょうか。

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Written by 上田勝太

上田 勝太

ゴールドプラザ 主任鑑定士
1985年生まれ 鑑定士歴15年
月次の最高買取金額10億円 各ニュースに出演