シャネルの創業者「ココ・シャネル」(CHANEL)

2017/09/15

シャネルネックレストップの画像
ルイ・ヴィトン、エルメスと肩を並べる高級ファッションブランド「シャネル」。
その生みの親であるココ・シャネルについてピックアップします。

影を宿した女

1883年8月19日、フランスのオーヴェルニ地方にてココ・シャネルは生まれました。
本名「ガブリエリ・ボヌール・シャネル」。この”ココ”の由来は後々出てきますので、本文ではココ・シャネルで紹介していきます。

ココ・シャネルには4人の兄弟がいました。
しかし、父親は外をふらついているばかりで家の事は母親に任せっきりでした。
それでもココ・シャネルは無責任な父親を愛し、帰宅を待っていました。
一家の大黒柱が不在の中、母親は子供たちの為にと必死で働き家族を支えます。
それが体に障ったのでしょう。
彼女が12歳のころ、母親が亡くなってしまいます。

子育てに無関心だった父親からは捨てられココ・シャネルと兄弟たちは、それぞれ養子、孤児院や修道院で生活をすることに。
愛する家族からの裏切りは、ココ・シャネルの心を傷つけ、やがて憎しみという大きな影を宿しました。
修道院で裁縫を学んだココ・シャネルは18歳になり、お針子として卒業。
フランスの田舎町フーランの洋服店にて働きはじめます。
その傍ら、歌手を目指していた彼女は様々なオーディションに足を運んでは挑戦していたのだそうです。
その時によく歌っていたのが
「Qui q’ua vu coco dans le trocadero(トロカデロでココを見たのはだれ)」。
この歌をキャバレーで歌っていたことから、タイトルの一部であるココを愛称として呼ばれるようになったと言われております。

自由の象徴とされた「ドレス・スーツ」

しかしながら、現実は厳しいもので彼女の歌手としての夢は果たされませんでした。
落胆した彼女を癒そうと親交のあった将校のエティエンヌ・バルサンはココ・シャネルを自分の屋敷に連れて行きます。
屋敷を社交場にしていた彼の友人たちと交流を重ねたココ・シャネルは次第に気持ちが晴れていきました。

気持ちも前向きになり始めたころ、退屈しのぎに作った帽子が友人たちから高い評価をもらいます。
バルサンからも出店を勧められたココ・シャネルは彼の資金援助によりとんとん拍子で帽子のアトリエを開業してしまうのでした。

次のステップへと進むために、ココ・シャネルは事業拡大を計画します。
これに協力したのが、アーサー・カペル。
彼は屋敷での社交場で出会い、ココ・シャネルが生涯唯一愛した男性でした。
協力的ではあったものの女性の社会進出については快く思っていなかったバルサン。
そんな彼とは正反対であったカペルは、ありのままのココ・シャネルを愛し彼女に資金援助します。

そして1914年にファッションブティックショップ「ガブリエル・シャネル」が誕生しました。
このお店では帽子だけではなくドレスやスーツ、ワンピースも販売するのですが、彼女がデザインしたものは実に斬新的でした。
当時、ドレスにはコルセットが付いておりきつく絞めて窒息してしまうなど女性たちにとって非常に窮屈なものでした。
苦しい思いまでしてドレスを着ることに疑問を持ったココ・シャネルはコルセットを無くしたドレスをデザインしこれを販売します。
結果は大ヒット。
縛り(コルセット)から解放されたそのドレスは、自由の象徴として瞬く間に人気となりました。

彼女なりの生きる術だったのだろうか

1919年、共に生きてきたアーサー・カペルが交通事故で亡くなりました。
今度は”死”という形で愛する人と離れてしまいココ・シャネルは悲しみに沈んでいきます。
1920年、悲しみを乗り越えたココ・シャネルは当時親交のあったロシア人貴族から調香師を紹介されます。
以前から香水に興味を示していた彼女は早速依頼。
およそ80種類の試作品を用意され、彼女が選んだのが試験管に記載されていた「№5」。
あのマリリン・モンローが愛用し、世界中で大ヒットした香水の誕生でした。
名前の由来は試験管だったんですね。
なんとも斬新な発想であり彼女の自由さを感じさせます。

ところが1939年。
店を何店舗も出してきた事が現場との距離感を生んだのか。
従業員のストライキが起こってしまい、店を閉めることに。
同年、第二次世界大戦が勃発。
ココ・シャネルの住むフランスはドイツに占領されます。
日用品や食糧をドイツに奪われ、沢山のフランス人が貧困に苦しんだと言われています。
ココ・シャネルも同じように苦しんだのかというと、それは違いました。
「反ユダヤ主義者」であった彼女はドイツの国家保安本部局長と親しかった為、ドイツに移りそこでは高官の愛人として何不自由なく暮らしていたのだそうです。
1944年、フランスはドイツから解放。
スパイとしての疑いをかけられたココ・シャネルは逮捕。
(ドイツの工作員だったとの噂)
釈放されたものの、フランス中から「裏切り者」呼ばわりされてしまい彼女はスイスへと亡命しました。
復活への糸口が中々掴めない中、1970年初頭でした。アメリカで起こったウーマンリブ運動がシャネル・スーツを再び浮上させます。
自由の象徴であるシャネルのデザインが女性解放に受け入れられたのです。

これを機に再スタートを切ってからの翌年1971年、ホテルの部屋にてココ・シャネルは息を引き取りました。
享年87歳でした。
その日は次のファッションショーに向けて準備の予定だったとのこと。
ファッション界に多大なる影響を与えてきた彼女にとっては、相応しい殉職であったのではないでしょうか。
激動の人生の中、自分の考えを形にしてきたココ・シャネル。
彼女の遺した言葉を最後にこの話を閉じさせて頂きます。

ー私は好きなことしかしない。
私は自分の人生を、自分が好きな事だけで切り開いてきたの。-
                          ココ・シャネル

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