皇帝‐カール・ラガーフェルド

2017/04/04


白髪のポニーテール、黒い大きなサングラスが特徴。
名はカール・ラガーフェルド。
ファッション界の皇帝。

デザイナーとして、写真家としても活動している彼は数々のブランドを渡り歩き、活躍してきました。
そんな彼を世の中は当然ほっとくわけもなく、彼の元へと訪れる者は少なくありません。

その規格外なデザインのルーツとは

カール・ラガーフェルドは1938年、ドイツにて比較的裕福な家庭で育ちます。

幼少期の頃から絵の才能が開花し、その後デザイナーへの道を考えるようになり、両親は息子の気持ちを汲み、やがて彼をパリに送り出します。

この時、わずか14歳。

 

パリではオートクチュールが経営していた洋裁学校に入学します。

その後、学校を卒業し二十歳を迎えたカール・ラガーフェルドはジャンパトゥの下でデザイナーの経験を積みます。

 

しかし、新しい時代に向けたオートクチュールの在り方に疑問を感じた彼はイタリアへと渡り、美術史を学びます。

過去に彼がカカオ豆10トンを使用して作られたチョコレートスイートルームをデザインした事がありますが、それはきっと美術を学んだ経験が生かされているのでしょう。

もちろん、彼自身の常識を逸したイマジネーションが形になったというのが正しいかもしれません。

崖っぷちのシャネルの救世主

その後、彼はパリに戻りフリーとして活動を開始します。

1963年、クロエのヘッドデザイナーに就任。

1965年にはフェンディのデザインも手掛けます。

そして1983年、彼が最も大きな功績を残すシャネルのデザイナーに就任。

 

当時、ココ・シャネルが亡くなり意気消沈していたシャネル。

シャネルの運命を託されたカール・ラガーフェルドが取った行動。

それは、皆が一番避けていた今までのシャネルとは打って変わり、新しいシャネルの在り方を築き上げる選択でした。

さらに、ここで彼が最も評価された点は“以前までのシャネルをどう残す”か。

 

つまり、全てを丸々変えてしまうのではなく、亡くなったココ・シャネルが今まで作りあげてきた“シャネルにあってシャネルにしか無いもの”を彼の手によって活かされたことでした。

これはシャネルについて完璧に理解していなければ決して出来ることではありません。

それを就任して僅かの間にやり遂げたのです。

過去に囚われないスタイル、彼の先見性を持つファッション×当初からシャネルにしかない華やかさが混ざり合ったニューシャネルは見事復活を果たします。

 

この出来事は、シャネルのブランド価値が再認識された事よりも世界に彼のデザイナーとして、底知れぬ力があるのだと知らしめました。

彼が“皇帝”と呼ばれるようになったのもこの頃からだと言われております。

皇帝の心を奪った、一人の女性

現在もカール・ラガーフェルドはシャネルのデザインを手掛けていますが、彼を頼りにコカ・コーラ、ドイツの老舗シュタイフ社とコラボしたテディベア、世界のピアノメーカー御三家の一つであるスタンウェイ社とは1100万円のピアノを発表するなど、ファッション以外でもそのデザイン力は発揮されています。

挙句の果てには、ドバイの人工島をプロデュースしてしまうのですから一体彼は何者なのか、いよいよ疑問を抱いてしまいます。
ちなみに、日本とは植村秀が創設したコスメティックブランドであるシュウ・コスメともコラボが実現されました。
以来、植村秀がこの世を去るまでカール・ラガーフェルドは彼と20年以上の親交がありました。

そんな彼を今、夢中にさせている存在。
それはどこか気品を感じさせる白さを持った一匹の猫。
名はシュペット。
元々、彼女(ここは猫ではなく、あえて“女性”として語るのが彼への礼儀であろう)を預かっていたのだが次第に彼女の可愛さに心が奪われてしまいそのまま引き取ってしまったんだとか。
また、カール・ラガーフェルドが仕事で不在の際は使用人に自宅で過ごす彼女の様子をツイッターにアップしてもらい、合間に見て至福の時間を過ごしているそうです。
きっと自宅でシュペットと過ごすその空間には、決して彼女にしか見せないもう一人の“皇帝”がいるのかもしれない。

カール・ラガーフェルドについてでした。