若き天才デザイナー。ニコラ・ゲスキエール

2017/04/26


現在、ルイ・ヴィトンのアーティスティック・デザイナーを務めるニコラ・ゲスキエール。
ファッション界において、21世紀を代表する存在と謳われています。
近々自身のブランドを立ち上げるのではと注目を集めるブランド業界の新星に関してお話いたします。

既にその実力は一流でした

彼がデザイナーとして力を見せ始めたのはわずか11歳のときでした。
母親が読み終わったファッション雑誌を手に取り目を通した後、スケッチブックに自分がイメージしたデザインを描いたそうです。
その素晴らしい出来映えに両親は驚き、彼を褒め称えました。
17歳になりニコラは各ブランド有名会社に自分のスケッチを送ります。
数日後、送り先の一つだったパリにある「アニエスベー」から「夏休みの間だけ、うちで働いてみないか。」と連絡が届きました。
このとき既にファッション界の大人たちから既に必要とされる実力が備わっていたのです。

やがて、学校を卒業したニコラは「ジャンポール・ゴルチエ」に就職しますが数年後には独立します。
この時、いまだ21歳。

ちなみに卒業した学校はファッションに関係のある専門学校ではありませんでした。
彼は独学で得た自分の力を信じ、フリーデザイナーとしてファッション界に勝負を挑みます。

バレンシアガに新たな風を

ニコラがフリーデザイナーとして活躍していた1995年頃、バレンシアガが彼をデザイナーとして抜擢します。
当時のバレンシアガは“5月のフランス革命”をはじめ、スペインの3店舗を閉鎖していました。

ジリ貧のバレンシアガに追い討ちをかけるように「クチュール界の建築家」と呼ばれ、創設者であったクリストバル・バレンシアガがこの世を去ってしまいます。
以前担当していたデザイナーの作品が不評だったこともありバレンシアガは今後の方向性を見失ってしまい、倒産寸前。

瀕死のバレンシアガの運命がニコラに託されました。

彼が就任してからわずか3年後の1998年に開催された春夏コレクション。
創設者のクリストバル・バレンシアガ残した伝統を受け継ぎ、今後迎える21世紀を生き抜く女性たちにと作られたニコラのコレクションは世界に強烈な印象を与えました。
まるで空気を入れ替えるかのように、新たな風を吹き込ませたニコラはバレンシアガを刷新することに成功し、高級ブランドへと復活させたのです。

ファッション界の二刀流となるか。

2013年、ニコラは惜しまれながらもバレンシアガから身を退き、同年ルイヴィトンのアーティスティックデザイナーに就任します。

ニコラがバレンシアガを去った理由は諸説あります。
一つは、バレンシアガに関わるビジネスマンとの方向性の違いでした。

2001年にバレンシアガはグッチグループの傘下に入り、ブランド会社として益々大きくなっていきました。
この時はニコラも資金が入ることで世界的に大きく展開出来ることに喜んでいました。
しかし、次第に周囲のビジネスマンは彼の作るデザインは「売れるのかどうか」という点に重きを置くようになり、にニコラは失意の念を抱き退任に至ったといいます。
マイナス面の理由だけでなく、ニコラは以前からルイヴィトンに強い憧れを持っていました。
ルイヴィトンは彼にとって、ラグジュアリーブランドの象徴とされる存在だったそうです。

ルイヴィトンに就任後、ニコラは過去に女優の菊地凛子をリゾートコレクションのモデルとして起用しておりました。
彼女にある女性らしさや時折魅せるボーイッシュな一面を高く評価。
彼の自由闊達さを感じさせるデザインを菊地凛子が身に纏うことでより引き立たされたのです。

そして2016年、フランスのトークショーにてニコラは自身のブランド立ち上げについて公言されました。
来年の2018年にはルイヴィトンに就任してから5年となりますのでこれを機に退任するのか。
はたまた“ファッション界の二刀流”として活動していくのか。
彼の今後に注目です。

Written by 上田勝太

上田 勝太

ゴールドプラザ 主任鑑定士
1985年生まれ 鑑定士歴15年
月次の最高買取金額10億円 各ニュースに出演