金の歴史 ~多くの人を虜にした悠久の歴史をひもとく~

2015/11/11

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古代シュメール人が、高度な加工の技術を用いて金の装飾品を作り出し、利用していたというのが金に関する最古の歴史だと言われており、紀元前の遥か昔から人類と金の歴史は始まりました。

悠久の時を超えて現代に至るまで、世界中にはさまざまな金にまつわるエピソードや、その歴史が残っており、中には金が発端となって歴史が大きく動いた事もあったほどです。

そこで今回は、今も残されている金にまつわるエピソードと一緒に、金の歴史を振り返ってみたいと思います。

王のみが金を持つことが許された古代エジプト

古代エジプト時代には、一般市民が金を持つことが許されておらず、持っているものはファラオに差し出し、隠し持っているものが見つかれば処刑されていたというエピソードが残っています。

当時は砂金から金を採取するという非常に手間のかかる方法だったにもかかわらず、ツタンカーメンのマスクや棺などには大量の金が使用されています。

どれほどの労働力があのマスクや棺に費やされたのかと思うと、気が遠くなりますね。

金を作り出す「錬金術」に夢を託した人々

別の金属から金を作り出そうという錬金術は、古代エジプトなどで始まりイスラム世界を経由してヨーロッパに伝わったとされています。

化学の発展に伴い元素が発見された現代では、錬金術なんて笑い話にもならないと思われる人も多いかもしれませんが、それまでは学問として多くの人が真剣に研究していたと言われています。

しかし18世紀1789年に「近代化学の父」と呼ばれるフランスのアントワーヌ・ラヴォアジエという化学者が、現代の元素に通じる33の物質を発表して以降、「他の物質から金を作り出す」という事が不可能であることが証明され、錬金術は姿を消す事になります。

しかし、多くの錬金術師が実験のために開発した器具や実験方法などは、後の「化学」の基礎になったと言われています。

多くの人が一攫千金を夢見た「ゴールドラッシュ」

1848年、19世紀のアメリカ・カリフォルニアで偶然砂金が発見されました。

このニュースが流れるやいなや、それまで荒涼とした砂漠が広がるだけだったカリフォルニアに、わずか数年でたくさんの人々が押し寄せました。

一説によると、集まった人数は10万人以上だったとも言われています。

当時は現代のような交通機関も発達していませんでしたので、カリフォルニアに行く事すら命がけだったそうですが、そこまでして一攫千金を夢見た人々の中で、本当に大儲けできたのは一握りの人だけだったと言われています。

ほとんどの人は、まともに金を取る事もできず、僅かな稼ぎも生活費にすべて消える…そんな過酷な生活だったと言います。

その後カリフォルニアには金山も発見され金によって歴史が大きく変わった街だと言えますが、その歴史の影にはこういった報われなかった人々も大勢いたのです。

日本の金歴史の始まりは8世紀まで遡る

日本における金の歴史は、現在の宮城県桶谷町付近において749年に金が確認されたのが始まりだと言われています。

これは「続日本記」という書物に記されています。

ちょうど同じ時期に建立が進んでいた、東大寺の大仏にも金メッキが使われ、約150kgの金が使われたとされています。

そのため、この当時の日本に金が存在したというのは、確かだと言えるでしょう。

金が大航海時代の原動力となった?!黄金の国ジパング

マルコポーロが「東方見聞録」で日本のことを“黄金の国ジパング”と紹介していますが、その話の元となったのが、平泉世界遺産の1つである中尊寺の金色堂だと言われています。

東方見聞録には「宮殿の屋根は全て黄金でふかれており、宮殿内の道路や部屋の床には、厚さ4センチの純金板がしきつめられ、窓さえ黄金でできている。」と記載されているようです。

しかし実際にはマルコポーロは日本には立ち寄っておらず、東方見聞録で黄金の国と言われたのは、当時の日本が中国との貿易の決済に砂金を用いていたことが関係していると言われています。

しかし、この東方見聞録を読んだコロンブスがアジア大陸を目指すなど、黄金の国ジパングは15世紀~17世紀の大航海時代の原動力となったのです。

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金が繁栄の源となっていた奥州藤原氏

中尊寺の金色堂を建立したのは、12世紀頃東北を収めていた奥州藤原氏。

当時中尊寺のある平泉周辺には、多くの金山が存在していました。

その豊富な金が経済力はもちろん、政治力にも影響を与え、奥州藤原氏の繁栄に繋がっていたと言われています。

金の採掘と小判の製造を行っていた佐渡

17世紀になると、鶴子銀山の山師が佐渡に金脈を発見します。

これが我が国最大と言われる佐渡金山です。

1621年には佐渡で小判の製造も開始されました。

明治に入ると政府は佐渡金山を官営化することとし、海外から技師を招いて最先端技術を習得し、近代化に向かいます。

1896年には三菱合資会社が所有し採掘を続けますが、1898年に金が枯渇したことによって採掘を中止。

300年以上と長い間採掘を続けてきた金山の歴史に幕を閉じることとなりました。

ここで紹介したのは、長い長い金の歴史のほんの一部のエピソードですが、人類の歴史が始まって以来、多くの人々が金に魅了され、翻弄されてきたということを垣間見ることができます。

それと同時に、多くの人が努力を積み重ねてきたからこそ、金をアクセサリーとして楽しんだり、生活を便利にする製品の一部として利用できたりするということも忘れてはいけないのではないでしょうか。