ヴァレンティノ(VALENTINO)の歴史と特徴
2022/11/02イタリアを代表するラグジュアリーブランド「ヴァレンティノ(VALENTINO)」。創業以来オートクチュールをはじめ、バッグやシューズなど幅広いアイテムが、世界のセレブリティ達から愛されてきました。今回はそんなブランドの歴史とラインやアイテムの特徴を解説させていただきます。
ヴァレンティノ(VALENTINO)の歴史
世界的に有名なイタリアのラグジュアリーブランド「ヴァレンティノ(VALENTINO)」。オートクチュール(高級仕立て服)に始まり、プレタポルテ(高級既製服)やバッグ・シューズなどのレザーアイテム、フレグランス、ライセンス品など多岐に渡り展開するブランドとして知られています。また、高級シューズメーカーから始まったイタリア・ナポリのファッションブランド「マリオ・ヴァレンティーノ(MARIO VALENTINO)」とは、よく混同されやすいですが全くの別企業です。
ヴァレンティノ(VALENTINO)の功績といえば、イタリアにオートクチュールの歴史を刻んだことに尽きます。イタリアにはグッチ(GUCCI)やブルガリ(BVLGARI) など有名な老舗ブランドが多く存在しますが、フランス発のオートクチュール分野の先駆者として、イタリア国内に持ち込み確立させたのが「ヴァレンティノ(VALENTINO)」です。
創業者でありデザイナー(クリエイティブディレクター)のヴァレンティノ・ガラヴァーニは、1932年に北イタリアのヴォゲラに生まれ、裕福な家庭に育ちます。「ヴァレンティノ」というファーストネームは、母親がイタリアの俳優にちなんで名付けられたそうです。
1949年ミラノの専門学校、翌50年にはフランス・パリのオートクチュール組合学校にて服飾製作の技術を学び、在学中に国際羊毛事務局主催のコンテストで優勝するなど、その才能の片鱗が見え始めます。そして卒業後、パリでクチュールメゾンを開いていたジャン・デッセのもとで修行を積み、同じメゾンで働いていたギ・ラロッシュが独立する際に、ラロッシュに師事し経験を積みます。 1959年に独立を果たし、故郷のイタリアに戻りローマにアトリエを開きますが上手く軌道に乗れず、1960年に父親からの支援と、経営面のビジネスパートナーとしてジャンカルロ・ジャンメッティを迎え、「ヴァレンティノ(VALENTINO)」を設立し、これがブランドの始まりとなります。ビジネスパートナーを得たことで、デザイナーとしての仕事に専念でき、1962年フィレンツェのピッティ宮殿にて初のコレクションを発表します。また同時期にアメリカにも進出し、ヴァレンティノ(VALENTINO)の名が世界中で注目される契機にもなりました。
1967年には、ファッション界のオスカー賞とも称されるニーマン・マーカス賞を受賞。翌68年には、白を基調とした白だけの服「ホワイトコレクション」を発表し、一躍人気デザイナーとしての地位を確立します。ちなみに、この時期よりヴァレンティノ(VALENTINO)のロゴとして有名な「Vマーク」が使われ始めます。1970年代に入るとブランドは絶頂期を迎え、71年にローマからミラノに拠点を移し、74年には日本にも進出しています。1980年代は、国内外において数々の栄誉ある称号や勲章が授与され、84年にはサラエボオリンピック(冬季)とロサンゼルスオリンピック(夏季)にてイタリア選手団が着用する公式ユニフォームをデザインしています。
1998年ブランドの経営権を売却し、その後幾度か母体の企業が変わりますが、ガラヴァーニ本人はデザイナー(クリエイティブディレクター)として、2008年の勇退までブランドに残りコレクションを発表し続けます。その後「ヴァレンティノ(VALENTINO)」は、2012年カタール王族の運営する企業に買収され、経営を強化し現在に至ります。
2人のクリエイティブディレクターとブランドライン
創業者デザイナーが引退したことでブランドは一時低迷しますが、「ヴァレンティノ(VALENTINO)」に、2人のクリエイティブディレクターが登場し転機を迎えます。
後に名コンビとなるイタリア人女性デザイナーのマリア・グラツィア・キウリ、イタリア人男性デザイナーのピエールパオロ・ ピッチョーリの両者は、1980年代後に入社した老舗ブランド「フェンディ(FENDI) 」にて、デザイナーとしてタッグを組んで活躍します。1999年、2人は同時に「ヴァレンティノ(VALENTINO)」に移籍すると、アクセサリーラインの立ち上げと、デザインを任されます。キウリとピッチョーリは、10年近くに渡り創業者ガラヴァーニを支え、アクセサリーラインの成功に貢献します。そして、2008年共同のクリエイティブディレクターとして就任します。その後「ヴァレンティノ(VALENTINO)」は、新たな境地を切り拓き、年商10億ドル以上の売上を誇る巨大ブランドに成長していきます。のちにブランドのアイコンとなる「ロックスタッズ」も、この名コンビによる化学反応により生まれました。
また、ターゲット別の戦略でブランドラインを展開し、中核ブランドでありハイエンドラインの「ヴァレンティノ(メンズ・ウィメンズ)」をはじめ、前者よりも低価格設定で幅広い女性層をターゲットにした「ヴァレンティノローマ」、バッグなどの皮革製品のアクセサリー専門ライン「ヴァレンティノ・ガラヴァーニ」、比較的若い層をターゲットにした「レッドヴァレンティノ」など、多角的にアプローチすることで、ハリウッドを始めとする著名人から一般人に至るまで幅広くファンを獲得することに成功しています。
2016年キウリが「ディオール(DIOR)」に移籍することで、約8年間務めた共同クリエイティブディレクターは解消され、ピッチョーリ単独で務めることになりますが、VLTNの文字が大きくプリントされた「VLTNコレクション」を手掛けるなど、世界で注目されるデザイナーとして、現在もブランドを牽引しています。
ヴァレンティノ(VALENTINO)の代名詞とその特徴
ヴァレンティノ(VALENTINO)を語る上で、欠かせない代名詞が「ヴァレンティノの赤(ヴァレンティノレッド)」と「ロックスタッズ」です。
前者は、修行時代のガラヴァーニが、バルセロナでオペラを観た際に舞台衣装が赤で統一されており、その美しさに魅了され、以降「赤」への強いこだわりを持ちコレクションやアイテムに採り入れるようになりました。特に真っ赤なイブニングドレスは有名で、鮮やかな赤色の服は美術館に展示されるほど、芸術の域に昇華しています。もちろん現在もこの「ヴァレンティノの赤(ヴァレンティノレッド)」は、ピッチョーリに継承されています。
そして後者は、ヴァレンティノ(VALENTINO)のアイコニックなモチーフとして、数々のアイテム・シリーズに採用され人気を博しています。レザーなどの素材に鋲が打ち込まれたデザインは、パンクテイストであり、かつエレガントな雰囲気を融合し表現されており、デザインを手がけたキウリとピッチョーリ曰く、日本の「侘び寂び」の概念を取込み、割れた食器等を修復する日本の伝統技術「金継ぎ」へのオマージュだと語っています。
最後に、イタリアオートクチュールの歴史を切り拓いたと言っても過言ではない「ヴァレンティノ(VALENTINO)」。その証拠に古今東西のセレブリティたちから愛されてきた逸話がたくさんあります。ここではお話ししませんが、名前を挙げれば、ジャクリーン・ケネディ・オナシス、エリザベス・テイラー、オードリー・ヘップバーン、ソフィア・ローレン、キャメロン・ディアス、レディー・ガガ、テイラー・スウィフトなど、枚挙にいとまがありません。
日本文化への造詣も深い、クリエイティブディレクターのキウリとピッチョーリは、インタビュー当時「永遠に続くものなど、この世には存在しない」と謳っています。これは、世界的な人気を持する「ヴァレンティノ(VALENTINO)」もまた、伝統を継承しつつも変化を厭わないブランドとして邁進する、といった自らへの戒めにも聞こえます。
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