プラチナの歴史
2015/09/07
金と並んで珍重されているプラチナ。さりげなく着けることができるシンプルさながら、ひと際美しく放つ輝きに心を奪われた人々は多いはずです。
そんなプラチナはいつ頃から見つけられていたのか、またこれまでどういった歴史を歩んできたのかなど、その魅力をより知るベくプラチナの歴史をご紹介します。
最古のプラチナ製品はルーブル美術館に
現在、最古のプラチナ製品と言われているのが「テーベの小箱」。
これは古代エジプトにあったテーベ王国の女性神官であるシュペヌペットの墓から出土したプラチナ製のケースで、現在はパリのルーブル美術館で展示されています。
プラチナは、約20億年前に隕石が衝突したのをきっかけに、プラチナを含む溶岩層が形成されたことで出来たと言われていますが、テーベの小箱のように数多く出土しているわけではありません。
しかし、プラチナは紀元前に人類が手にしていたことだけは確かなようです。
プラチナを使いこなせず廃棄処分に?
その後、プラチナは10世紀頃には南米で宝飾品として扱われていたものの、当時のヨーロッパではほとんど知られていませんでした。
16世紀頃、スペイン軍が中南米を侵略した際、銀と間違えてプラチナを持ち帰ったそうですが、融点の高いプラチナを扱うことができず、廃棄処分にしてしまったというエピソードが残っています。
ということは、古代エジプトにはプラチナを使いこなす高い技術があったということが証明されるのではないでしょうか。
プラチナが注目をされ始めたのは18世紀以降
そんなプラチナが注目され始めたのは、さらに時が流れた18世紀。
1730年代にスペインの探検家が、コロンビアのピント川でプラチナを発見し、当初は錬金術の材料として使われていました。
ちなみにこの時「プラチナ・デル・ピント(ピント川の小さな銀)」と名付けられたことで、「プラチナ」と呼ばれるようになりました。
そしてプラチナの扱い方が研究され、ルイ16世の時代になると、プラチナ製品は多く作られるようになります。
世界的ブランドがさらにプラチナを世に広める
プラチナをさらに世へ広め、地位向上に貢献したのは、今や世界的なブランドになった「カルティエ」の3代目であるルイ・カルティエです。
彼が生み出した「ガーランド・スタイル」という、プラチナと小粒のダイヤモンドで加工した花柄のジュエリーが人気を博したことで、世界の上流階級の人々がプラチナに注目するようになったということです。
日本人がプラチナに出会ったのは江戸末期
それでは、日本におけるプラチナの歴史はいつ始まったのでしょうか。
江戸時代の末期ごろ、遣欧使節がロシアでプラチナに出会ったのが最初と言われています。
その後明治21年に日本で初めてのプラチナ製品として、懐中時計が輸入されます。
その3年後には村松万三郎がプラチナの溶解に成功してからは軍需用として、そして大正から昭和にかけては和装用のジュエリーとして、広まったといわれています。
金よりも希少だというプラチナが、廃棄処分されてしまっていたという歴史には驚きですが、現在ではブライダルジュエリーを始め、工業製品など様々な業界で利用される金属となっています。
これからも気品あるその輝きは、きっと多くの人々を魅了していき、新たな歴史を刻んでいくことでしょう。