時代を紐とく 大判小判の種類
2015/12/04
SUICAやPASMOといった電子マネーの普及で、100円玉や10円玉を使用する機会が減ってきたという方もいるかもしれません。
しかし、ここでは時代をさかのぼって、江戸時代の小判についてご紹介したいと思います。
時代劇で見ると使うのが不便そうな大判小判ですが、慶長小判や天保小判など、驚くほどの価値が付くものもあります。
大判小判とは?
大判はその名の通り大きな判のもので、あまりも大きく高価すぎて流通に適したものではなかったため、主に褒美や贈答品として利用されていました。
それに対して小判は流通することを目的に作られたものなのでサイズも丁度良く、価値が不安定なものにならないように、しっかりとその価値が刻印されていました。
それまでは、中国から輸入された渡来銭や質も価値もまちまちな鐚銭(びたせん)に加えて、各地で産出される金や銀を利用した金判や銀判がありましたが、統一された基準を持つものではありませんでした。
しかし、小判が大量生産されて流通したことで、全国で統一された通貨が使用されました。
日本で初めて統一した金判「天正大判」を作ったのは豊臣秀吉で、重さが165gと世界最大の金判でした。
有名な慶長小判・慶長大判とは?
天下を統一した徳川家康は、慶長6年(1601年)に国内の貨幣制度を統一しました。
これにより今まではまちまちだった金貨の重さや名目などが定められ、金貨に加えて銀貨を発行しました。
ここで発行されたのが、慶長小判・大判です。
当時は、伊豆など国内で金が豊富に産出されており、いわばゴールドラッシュ状態でしたので、それを利用して鋳造されたため、慶長小判は純度がなんと86%!
キレイな山吹色をしていることからも分かりますが、金の質も極めて良質です。
そのため、現代でも慶長小判は高く評価され、取引されています。
江戸時代の大判・小判
江戸時代を通して、大判は5種類(慶長、元禄、享保、天保、万延)、小判は10種類(慶長、元禄、宝永、正徳、享保、元文、文政、天保、安政、万延)、鋳造されました。
いずれも、大判は庶民が利用するものではなく、褒美や贈答用として使われ、一般には小判が使われていました。
手作業で仕上げられるため、同じ価値の大判や小判でもバラつきがありましたが、天保小判(保字小判ともいわれます)からは、ローラーで金を延ばすようになりました。
その結果、純度の割には美しい金色の小判が仕上がるようになりました。
また、徳川家光が銅貨「寛永通宝」を発行したことで、金貨、銀貨、銅貨が、全国で使われるようになりました。
ただ、時代が経つにつれ、財政難を補うために各藩が独自の紙幣である藩札を発行したり、幕府が金貨や銀貨の質を落としたりしたことで、貨幣制度は不安定なものになっていきます。
明治時代に入ると貨幣制度はガラリと変わり、通貨は両から円になり、大判や小判は役目を終えました。
しかし、質の高い慶長小判や金色が美しい天保小判、全く実用的でないサイズの天正大判などは、古銭ファンでなくとも一度は手にしてみたいものとして現在でも人気があります。
江戸時代の小判や大判は発行枚数が多く、物置や蔵などからひょっこり見つかることがありますので、一度チェックしてみてはいかがでしょうか。