ミノルタのカメラの歴史

2016/07/04

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ミノルタ(現在のコニカミノルタ)は、プリンターや複合機などの印刷関連製品やヘルスケア製品、産業・医療用の計測機器などを製造・販売するメーカー。

惜しまれつつも、2006年3月カメラやレンズなどの写真関連の事業からは撤退していますが、「α(アルファ)」などのレンズ交換式一眼レフカメラブランドはソニーに譲渡されて開発・販売が続いています。

ここでは、戦前の1928年(昭和3年)から78年続いた、ミノルタのカメラの歴史をご紹介します。

カメラの国産化を目指して

ミノルタの創業者、田嶋一雄は1928年11月に二人のドイツ人と一緒に、日独写真機商店を設立。

カメラの国産化という目標を立てて事業を開始します。

日独写真機商店は、その後様々な紆余曲折を経て、設立から34年経った1962年にミノルタカメラ株式会社に商号を変更し、1994年に「ミノルタ株式会社」、2003年にコニカと経営統合して現在の「コニカミノルタ」になっています。

ニコンやオリンパスなどの他のカメラメーカーが、創業当初は光学機器の開発・製造を事業の柱にしていたのに対し、ミノルタは純粋にカメラを開発・製造・販売するために設立された会社なのです。

当時は、カメラのトップブランドといえば、ミノルタ(当時はニフカというブランド名)だったそうです。

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日本で最初の市販カメラを発売したのがミノルタ

日本で最初に市販されたカメラは、1873年(明治6年)に創業した小西本店(のちのコニカ)が販売したボックスカメラだと言われていますが、厳密な意味でのカメラでは、ミノルタ(当時は日独写真機商店)が1929年3月に発売した「ニフカレッテ」だと言われています。

戦前の最大のヒットカメラと言われているのが、1934年(昭和9年)に発売した、ベスト判カメラの「ミノルタベスト」。

このカメラを発売した当時のミノルタは、モルタ合資会社等名前で、ミノルタベストのヒットのおかげで株式会社化できたとも言われています。

国産初の二眼レフ「ミノルタフレックス」を皮切りに、1953年(昭和28年)には「ミノルタコード」、1955年(昭和30年)には「ミノルタオートコード」を発売し、ロングセラーになります。

ミノルタは「カメラ専業のメーカー」として設立されたこともあるのか、二眼レフカメラから一眼レフカメラへの転換もすばやかったと言います。

1954年(昭和29年)のライカM3発売を見て、すぐに開発に着手。

そのわずか4年後の1958年(昭和33年)には、初の一眼レフカメラ「SR-2」が発売されます。

その後1970年代に入ると、各カメラメーカーとの競争が激化。

その中でも、1985年(昭和60年)には「αショック」とも呼ばれることがある、世界で初めて本格的なAF(オートフォーカス)を搭載した「α-7000」を発売。

この年には、国内シェアNo1にもなっています。

写真のデジタル化とさらなる競争の激化による撤退

1990年代に入るとカメラはいよいよデジタル化が進んでいきます。

ミノルタが初めて発売したデジタルカメラは、1995年(平成7年)発売の「ミノルタRD175」。

発売時期は決して遅くはないのですが、「ミノルタRD175」は一眼レフカメラで業務用としての位置付け。

翌1996年には、オリンパスがコンパクトデジタルカメラ「CAMEDIA C-800L」を発売して大ヒットしているところから見ても、一歩出遅れた感があります。

デジタルカメラは、電子部品の構成比率が高いので、従来のカメラメーカーだけでなく、電子機器メーカーも参入して競争が激しくなっています。

そんな中、2005年には京セラが撤退、遂にコニカミノルタも2006年にカメラ事業から撤退してしまいます。

今では中古カメラしか入手できなくなったミノルタのカメラ。

その歴史を振り返ってみると、どれだけカメラの発展に寄与したか分かりません。

もし、いま所有している方は、大切に使い続けていくのもいいのではないでしょうか。

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